肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

紆余曲折の人生をストレートに表現しています。

32歳のとき 就職活動で苦しかったこと

3か月ほどフィリピンに滞在し、身体の調子が良くなったことを確認して日本に帰国しました。

それ以降は社会復帰を目指して就職活動をしたわけですが、どうしても耐えられないほど苦しかったことがありました。

それは面接の席で過去の学歴や職務経歴について「君のために言ってあげているんだよ」とボコボコに言われ、説教された果てに不採用の連絡通知を受け取るというパターンが多かったこと。

「全然、俺のためになっていないじゃん・・・」(←心の声)

面接と称して、面接官は憂さ晴らしをしたかっただけですか。
立場が下の応募者に「君のためを思って言っているんだよ」と前置きして逆らえないようにしてから相手の人生を否定することに何の意味があるのでしょうか。

例えば、
日本で4年制の大学を卒業して会社に就職している人にとってはそれが当たり目で普通のことだとします。

そういう方が私の履歴書を見たら、工業高校の電気科に入って不良グループから殴られて、通信制の学校に転入した人など異端に見えてしまい「普通じゃない、大学すら出ていないのか」というようになってしまったわけです。

求人に応募するときは高校卒、普通免許、経験不問など確認してから応募しているのですが、実際の面接の席で学歴のことを言われてしまい

「君はろくに大学すら出ていないじゃないか?」こう言われて何の反論もできないことに大きな苦しみを感じていました。

「だったら書類選考で落とせばいい、面接の席に呼ばなければいいだろう」と思っていました。

世界には多くの国があって、その中で日本という国に生まれてくるだけでも
極めて珍しい確率だと思いますが、その中で経済力を持って教育熱心な両親のところに生まれてきて大学まで卒業させてもらえるなんてどれだけ厳しい確率なんだ?

もしも採用されていたとしたら、今度はお金のためだけに「君のために言っているんだ」と理不尽なことを要求してくる上司の圧力に耐えなければならないのか?

働きに行くこと、すなわちお金を得るためには
自分から苦しみの中に飛び込んでいくしかないのか
働いてお金を得ることに対して苦痛しかないなと考えるようになっていました。


この気持ちはどこから来るんだろう?

これは、小さなときに父親という圧倒的な力の中で
「食わせてやっているんだ」「俺の言うことが聞けないなら家から出て行くか死ね」「生きているだけでもありがたいと思え」

こうやって思わされていたことを、
大人になってまた再現させられているような状況になっていました。

辛かった家庭の中で起きていたことと、日本の社会で働くことは一緒だったんだ

結局、お金を得るとか食べていくということは
誰かから支配されて、理不尽なことでも無理矢理飲み込まないといけない
これは苦行だ・・・


「ここから抜け出すにはどうすればいいんだろう」

またしても、暗闇のトンネルに片足を突っ込んでいたのです。

今日はこの辺で

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