肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

紆余曲折の人生をストレートに表現しています。

31歳のとき  フィリピンから日本に帰国した後

離婚して子供と別れたことや職を失ったことで心身のバランスを大きく崩してしまい
毎日「死にたい」「生きている価値などない」と嘆いていた時期がありました。

人生の再起を賭けてフィリピンに三ヶ月間滞在して朝は基礎体力トレーニング 
夜は空手道の稽古で汗を流す生活をしました。

健康を取り戻したことを確認してから日本に帰国し、その後の生活がどうだったのかを綴ります。


先に結論を言うなら、自分は日本社会に馴染んで暮らすことは難しいのだと痛感しました。かといってフィリピンで働いて暮らそうとも思えませんでした。



最初は社会復帰をしようと思って日本での就職活動に精を出しました。

書類選考で落とされるとか、仮に書類選考に通過して面接に呼ばれても
学歴や職歴を指摘され、見下されるかのような扱いを受けたり、
圧迫面接と言う名の詭弁を吐かれたりを繰り返しました・・・・

「自分は社会復帰したい、されど社会はこちらを受け入れてくれないじゃないか」
という思いが頭を駆け巡るようになりました。

肉体的には健康を取り戻したものの、
自分を取り巻く現実は何も変わっていなかった、

引きこもっていれば「働け」と言われるのに
いざ「働きたい」と言えば、社会から弾かれる始末で

気持ち的にはまた元の木阿弥でした。

日本は安全が守られているし、清潔で過ごしやすいのは確かです。

ただし、
履歴書には、傷の無い経歴や挫折したことがない人生というのが重要視され、
誰に何を言ってもほとんどが同じようなことしか言われない
金太郎飴のように、どこを切っても同じ顔のような価値観を
受け入れるのはとても苦しかったと記憶しています。

かと言って、フィリピンに戻りたいとも思いませんでした。

社会復帰をするという目標を掲げて運動をするだけの暮らしをしているうちはいいけどフィリピンという国は何かをやってお金を稼ぐという場所とは思えなかったから。

観光旅行ではなく、フィリピンに住んだ経験のある方なら分かると思いますが、

ごく一部のフィリピン人の中には、ホスピタリティ満面の笑みで人を平気で欺く・嘘を吐くなどカスのような奴が大勢います。

車に乗っていて、信号待ちで停車するとどこかから湧いて出てきて
勝手に車の窓を拭いて「窓を拭いてやったのだから金をよこせ」と言う人、

何人かで首都マニラの街中まで買い物に行ったとき、笑顔で抱きついてきて、そのまま後ろ手でこっそりとヒップバッグのファスナーを開けて財布を抜き取ろうとしたストリートチルドレン・・・・もちろんこちらも笑顔で腕に力を込めて阻止しましたよ

※ 海外に来たとき、ヒップバッグを身につけるなら貴重品が入った袋を前にしましょう。見知らぬうちにカッターで袋の部分を切り裂くような奴もいます。

(自分が直接の被害に遭ったことはありませんが)
現地人から仕事の話を持ちかけられ「労働ビザが無いから一緒に仕事ができない」と断ったのに、
「いいよ、俺らが何とかしてやるから安心しろ」とフィリピン人から言われて、
実際 一緒に仕事をしたら、投資したお金は騙し取られて
最後は警察が来て「あなたは労働ビザが無いのに仕事をしたから逮捕する」と言われて本当に身柄を拘束された人がいたり

※ 騙した人と警察官は最初からグルだったそうです。

家族旅行でフィリピンに来て、空港の建物の中で安全だからいいかなと思って「写真を撮ってやるからカメラを貸しな」と言われてシャッターを押してもらったら

「金よこせ」と言われてお金を騙し撮られた人がいるなど

空港の中でもイミグレーションを通過したら、もう安全とは言えないんですね。
観光客を騙して小銭を取ろうとしたりするアホがいるということにびっくり。

フィリピンに来てから騙されてお金を取られた、もしくは取られそうになってトラブルに発展しそうだったという話は枚挙に暇がありません。

一般市民でも銃を持っている人がいます。常に心のどこかで警戒心を持つことが必須となりますし、何かが起きればどんなことでも他人のせいにはできなくて自分で責任を負うことになります。

ですので、私は日本で社会復帰できなかったからと言ってフィリピンで仕事をしようとは思えませんでした。


当時の私が目指していたのは、雇用形態は何でもいいから何かの仕事に就くか、
定期的にお金が入ってくるような仕事なり、何かをすることでした。

現実はなかなかここにたどり着くことができず、

再び苦悶の日々に片足を突っ込んでしまっていたのです。


今日はこの辺で

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