肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

紆余曲折の人生をストレートに表現しています。

28歳のとき 母子ともに退院してきた日

ミニバンの2列目の座席にISO FIX対応のチャイルドシートを取りつけて、
奥さんと生後1週間の子供を病院まで迎えに行ったときの話を綴ります。

退院する前に子供の名前を正式に決め、役所で出生届を出しておきました。

おそらく、多くの家庭では出生届を出すのは父親の役目になるはずです。

子供の名前に関しては、双方の親を介入させることなく、男の子が生まれたら奥さんが命名する、女の子が生まれたら私が命名するということで事前に決めておきました。

我が家の場合は出生前の超音波検査によって子供の性別が女の子だと判明しており、無事に生まれたときに女の子だと確認できたため、私が考えた名前を命名しました。

子供が一生使う名前をつけさせていただいたので、責任と同時に大きな幸せを感じていました。


退院当日は家を出る前に、部屋の掃除を念入りにしておき、
ベビーベッドと奥さんの寝床を準備してから家を出ました。


まずは病棟に着くなり荷物を撤収。病室から出る前、個室の中でDVDのカメラを固定して夫婦二人と子供をベッドに寝かせた状態で動画を撮影しておきました。

永久保存版にしておき、いつか子供が大きくなったときに見せようと考えたからです。

「未来の子供へ」みたいなそんなタイトルを付けておいた記憶があります。

カメラを三脚に固定しボタンを押して録画開始。

私は子供の名前を呼び「元気な姿で生まれてきてくれてありがとう」のようなメッセージを言いました。

次は奥さんの順番なのですが、よほど感動したのか大泣きしながらメッセージを言っていました。

私:「どうする?録り直す?」

奥さん:「いや、このままでいい。」ということで未来の子供向けに動画を保存しておきました。

実は、母子ともに出産後の処置が済んで安全が確認された後、自分が分娩室でカメラを回しておいたので、それも編集すればきっと良い動画が残せるんじゃないかと思っていました。

子供に対する大きな期待と「上手に育てられるのだろうか」という一抹の不安を抱えながらお世話になった病棟の看護師さんたちに挨拶をして病棟を出ました。

出産当日の朝、本格的な陣痛で産婦人科に駆け込み、何時間も苦しみうなされてから吸引分娩で無事に出産。1週間の入院期間の中で赤ちゃんに対する基礎的な世話の仕方を叩きこまれて退院することができました。

退院時の会計は、窓口で50万円ほど現金で支払いました(白目)

※ 吸引分娩に関しては医療的な処置なので、この部分に関しては保険が適用されました。
※ その他の項目に関しては保険外の扱いでした。
※ 妊娠・出産は病気ではないため、保険外の扱いだということです。
※ 大金なので、事前に金額を教えてもらって準備しておきました。

奥さんと子供を病院のロビーで待機させておき、自分は駐車場まで車を取りに行きました。

このとき「いよいよ生活が始まるんだなぁ」と感慨深かったのを覚えています。

子供をチャイルドシートに乗せて固定し、奥さんも子供の隣に乗って私が運転手となっていざ出発。

帰宅するまでの道中、優しい運転を心掛けたつもりでしたが、ちょっと車が揺れただけで「もっと優しく運転してよ!」「揺れすぎだよ!」まるで自動車学校の教官並みに怒鳴られました。

車の中で生後1週間の子供が少しでも不安そうな表情をすると「あぁぁ、大丈夫??」などと慌てていました。


総合病院からいよいよアパートに到着しました。
ここからが大変な生活の始まりです。

準備しておいたベビーベッドに子供を寝かせ、そのすぐ隣に奥さんの布団を敷いておいたので休んでもらいました。

自分は持ち帰った荷物の片付けや生活環境を整える準備などをしました。

このように文章で書けばほんの数行で済みますが、実際はやることが目白押しになってきて戦争のような状態になりました。


子供が家にやってきたその日の晩、事件が起こりました。


奥さんは産後で満身創痍であり、体力的・精神的に大変なんだっていうのは分かっていました。でも、こちらもそれなりに準備やサポートで体力を使って消耗していました。

子供が「ふぎゃぁ~」と泣くとオムツかおっぱいかどちらかしか分からなかったのですが、

奥さんは私に「粉ミルクを作って」と言いました。

で、私は初めてのことでしたので粉ミルクの缶を見ながら、ぎこちない作業で
哺乳瓶に粉を入れて、適温のお湯を注いでミルクを作って奥さんに渡しました。

突然、奥さんが鬼の形相でこちらに向かって

「作るのが遅い!粉の分量は計量スプーンですりきりなの!!やり直せ!!」と怒鳴りながら哺乳瓶をこちらに投げ返してきたのです。

「はぁ??何それ??」投げ返された哺乳瓶をキャッチした私は戸惑ってしまいました。

それまでに見たことのない表情で「お前はこんなものを赤ちゃんに飲ませるのか!!」と悪魔が憑依したかのような表情で言うのです。

鬼の形相で哺乳瓶を投げ返されたこと、いきなり「お前」と怒鳴られたこと

私は理解するのに時間がかかってしまいました。

そうこうしているうちに再び子供が「ふぎゃぁ~」と泣き始めました。

「早くしろ!泣いてるじゃんか!!」と聞いたこともないような乱暴な口調の奥さん・・・・

急に乱暴な言葉で怒鳴られたため、私はキレてしまいました。

「粉の量なんかこの次から直せばいいだろう!!そんなに文句があるなら貴様が自分でやれ!!さっきからガタガタうるせぇ!!」

と吐き捨てて、そのまま家から出て行ったのです。

奥さんと子供を家に残して。


お互いに極限まで追い詰められていて、それが哺乳瓶を投げ返されたり、乱暴な言葉につながったのでしょうか。

私は怒りが冷めるまで近所の公園を走っていました。

どれくらいの時間が経ったのか定かではありませんが、怒りが冷めたのを確認して帰宅しました。

部屋に戻ると奥さんがシクシクと泣いていました。

奥さんに対しては一瞥もせず「ガタガタ言うなら黙って寝てろ」と吐き捨て、
私が子供のおむつを替えたり、新しく粉ミルクを作って与えるなどしてその日の晩を乗り切りました。

次の日、私は双方の母親から電話がかかってきて猛烈に叱られました・・・。

奥さんはこの晩の出来事を一生涯根に持ってやると言っていました。


その後も奥さんは子供におっぱいを与えるとき、子供の顔を見るのではなくて
何分経過したとか、時計ばかり注視しているのです。

粉ミルクを作るときもそれはそれは神経質な作業をこちらに強要するのです。

そこで私は言いました。

「おっぱいは飲みたいだけ、好きなだけ飲ませればいいんじゃないのか?」
「で、なんで子供の顔を見ないで時計ばっかり見ているわけ?」
「粉ミルクを作るのは、皆が順調におっぱいが出るわけではないので、そのときに備えてっていうことだろ?おっぱいが順調に出るならおっぱいをずっとあげればいいだろうし、粉ミルクは非常用ってことじゃないのか?」


奥さんは手負いの獅子です。

またしても鬼の形相となって、怒りで泣きながら反論してきました。

「男に何が分かるのよ!」
「この前、家を捨てて出ていったクセに」


私:「あのさ、これに加えて子供には布おむつを使っているじゃん。俺も洗濯や掃除、買い物、色々やっている。布おむつの洗濯だってすごい量だよね。風呂場に洗剤入りのバケツをいくつも置いといて、お前は汚れたおむつを投げ込んでいくだけでいいけど、こっちは時間に関係なくバケツが溜まったら洗濯して、乾燥機にかけてと延々やっている。どこか妥協して力を抜いて適当にやらないといつまで経っても終わらないじゃん。布おむつじゃなくて紙おむつを頻繁に交換する形でも別にいいじゃんか。」

私:「子供が泣くのは、大きく息を吸って吐くという心肺機能を向上させる意味もあるので泣いたからってそんなに大騒ぎしなくていい。大きな声で泣くってむしろ健康な証拠じゃないの?」


奥さん:「だめ。あなたは私が言ったことだけやっていればいいの。子供が泣いたらすぐに動く!できるだけ泣かせないようにするのが親の仕事なの」

私:「それじゃ、身体が持たない」

こんな感じで子供の世話よりも、夫婦間で子供の育て方をめぐって言い争いをするようになってしまいました。

双方、未熟な親だったのだと思います。

子供がどれだけ泣いても、私は目を覚まさずにスヤスヤ寝ていることがあって、
奥さんはそれを見ているだけで殺意が湧くと言っていました。


今日はこの辺で

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