肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

紆余曲折の人生をストレートに表現しています。

27歳のとき 結婚の約束と家族計画について話し合う 3

前回の記事の続きになります。

コチラをご参照ください。

27歳のとき 結婚の約束と家族計画について話し合う 1 - 肉が行って魚が来る ຊີ້ນໄປ ປາມາ

27歳のとき 結婚の約束と家族計画について話し合う 2 - 肉が行って魚が来る ຊີ້ນໄປ ປາມາ


この投稿は、恋人と同棲していていずれ結婚を考えているような男性向けに書いています。

ダラダラと長文を書いていると疲れるので、先に要点を書いておきます。

  • 仕事
    応募→書類選考→面接といった就職活動を何度か繰り返し、
    無事に正社員としての就職が決まりました。

  • 入籍
    日にちを決めて先に婚姻届だけは出しておきました。

  • 子作り
    無事に?妊娠しました。

  • 挙式
    2人きりで挙式をしました。


だいたいこんなことを綴っていきます。


仕事について
多くの人は無料の求人誌、新聞、インターネット、人材紹介会社など様々な選択肢から情報を得ながら就職先を探しますよね。

我が家に限ってはこれらの媒体から情報を得ることは禁じられていました。
奥さんから「就職活動は職業安定所一本にすること」だと言われ、それに従っていたからです。

従っていたのではなく、それ以外の方法は許されなかったのです。

安定所に行き、端末機で求人情報の検索をしてみて自分が興味を示したからと言ってその場ですぐに応募するということはブレーキがかけられました。
一度プリントアウトして家に持ち帰り、奥さんが内容を読み、了解が得られたら応募するという形を採りました。

あと、私とは別行動で奥さんが職場で有給を申請しては安定所に行き
私ができそうな仕事の求人票をプリントアウトして帰ってくるということも同時進行で続けられました。

私はそれまでに電気工事業の現場経験や独学で取得した国家資格があったので、
その方面の仕事に興味を持って応募したいと相談しました。

外で働く前に家庭内予選があったと表現しておきましょう。

その仕事に関しては、奥さんからは猛反対されました。

おそらく私の性格を考えると、古い世代で職人気質な人達とはソリが合わないでしょ?という話をされました。

こちらとしては曲がりなりにも努力して積み上げてきたことなので、どうしてもやりたいとしつこく食い下がってはみたものの「電気工事業の職人の世界は諦めな。」と言われました。

夫婦でとことん話し合って分かってきたことは、普段 どんな仕事をしているかによって日常生活での物事の考え方にも影響してくる部分があるということ。

例えば、奥さんは大学で法学部に入って、国家公務員として法律を扱う仕事をしていたため、
どうしてもシロクロはっきりさせたいような杓子定規な考え方をしていましたし、仕事柄、自分の思ったように周囲の人を動かしたくなるような部分が日常生活でも見られました。

私自身は、育った家庭環境や周囲の人たちからの影響があって、もともとは口が悪い人間でした。

「腹減った~何か食いてぇ」と言えば「お腹が空いた、何か食べたい」でしょ?

奥さんから指摘されてその場で直すよう言われ続けてきました。

いずれは子供が生まれることを考え、口が悪いのを何とか直して欲しいと言われました。


私が経験してきたのは「仕事は教えない。見て覚えろ。」という無口な職人気質の世界です。

基本的にイチから仕事を教えてもらえないなんて当たり前、それどころか私が施工した場所のミスも指摘されることなく、勝手に修正されてそれすら教えてもらえなかったこともありました。

同じ電気工事業でも会社の方針によっては職人が汚い言葉で怒鳴る・殴る・蹴る・工具をブン投げるのは当たり前です。

それと引き換えに技術が身に付けられるなら結果オーライになるのでしょうか?
正解は分からないままです。

過去に行った現場で実際に目撃したのは・・・・

電気工事の作業員は皆、腰道具を付けて仕事をするため、
ベルトには3か所ほど胴綱(安全帯)を引っ掛けるためのフックが備え付けられているのですが、

同業者の中で起きた事件で、現場で若い作業員が熟練工の指示に逆らって熟練工の気に障る何かをしでかしたのでしょうか?生意気だったのでしょうか?

その若い作業員の腰道具のフックにシャックルがつけられているのが見えました。
その背後にいた熟練工が手で合図をした瞬間、その作業員がクレーンで地上10mくらいの高さまでゆっ~くりと吊り上げられている場面を見たことがあります。

若い兄ちゃんは大きな声で謝るまで地面に下ろしてもらえませんでした。
お気の毒に・・・・。

これを教育というのか?もはや事件だろ?
いくらなんでもお仕置きや制裁にしてはキツすぎねぇか?
ΣΣ(゚Д゚;)


私の心の中では「手に職を」という観念に縛られて意地になっていたのが大きいのですが、
職人として技術を覚えたいという強い意欲を持っていたのは確かなことです。

奥さんとしては負の部分を考えて「いくら努力しようが、結局は人間関係で辛い思いをして耐えられなくなるのが関の山。あなたは心が弱い人間。到底乗り越えられるとは思えない」と言われてけんもほろろでした。

話し合いを続けた結果、電気工事業の世界は諦めることにしました。


職探しに関しては、この他にも興味を持った仕事に応募したいと相談しては反対されるの繰り返しで本当に数え切れないくらい口論の無限ループが続いていました。

最終的には、奥さんが安定所まで行って見つけてきた何枚かの求人票の中から選んだ会社に応募して、書類選考から面接を経て正社員をして採用を決めていただくことができました。

当時の従業員数は総勢15名程度ですが、とあるメーカーに勤めて、とある製品を売るために法人相手の営業職兼メンテナンスとして日本全国あちこちを飛び回るような仕事に決まりました。

過去の経験によって工具の取り扱いができること、電気回路に関する知識や経験が求められていたこと、実家の自営業でルートセールスの仕事を5年ほどやってきた点を認めていただきました。実家の自営業との兼ね合いで入社日を考えていただいたのがとても助かりました。

入籍について
就職が決まり、かねてから相談してあった日に二人で役所まで行って婚姻届を提出しました。相談も何も、奥さんが「この日にするから」と一方的に決めただけなんですけどね。

○月○日までに必ず就職を決めなさいとずっと厳しく言われていました。

仕事が決まるかどうかについては、プレッシャーや不安で仕方が無かったのですが、
これで安心できました。

役所まで行って、二人で書いた婚姻届と戸籍謄本等を提出して受理されれば法律的に夫婦となります。

相手は名字が変わったことで、職場での届け出や運転免許証や保険証など様々な書類の名義変更に追われていました。

ここは肝心
自分たちは重心障害児のお宅でドーマン法リハビリプログラムの介助ボランティアに来て顔を合わせたのがきっかけです。入籍したときは、その方に直接御礼を言うために挨拶をしました。そこのご夫婦に仲介人を頼むことはしませんでしたが、改めて感謝の気持ちを伝えるのはとても大切なことだと思いました。

自分たちにとって、重心障害児が縁結びの神様です。

子供にとっては、その子が存在していたからこそ生まれてきた命だということ。

これは一生涯忘れてはいけないことだと考えています。


子作りについて
ずっと奥さんから「3月に出産できるように子作りしたい」と言われていて、
これがまた大きなプレッシャーとして肩に重くのしかかっていました。

男にとっての子作りとは?

その期間はゴムが要らなくなります。薄いゴム一枚ないだけでこんな世界があったのかというくらいで精神的にも肉体的にも充実した時間を過ごすことができました。

最初のころ「ゴムが無ければすぐに妊娠する」と短絡的に考えて子供を仕込んでいたのですが、現実はそう簡単に妊娠しないことが分かりました。

何回かトライしてみても妊娠しなかったので、ひょっとしてどちらかに原因がある不妊という言葉が脳裏をよぎりました。

あるとき、私は奥さんに聞きました。

私:「受精のタイミングが遅れれば、その分、出産の時期も後ろにずれていくんでしょ?ゴム無しはいつまで続けられるの?例えば4月や5月の出産とかになってもいいの?」

奥さん:「あーそっか、調べておくね」

こんなやりとりもしましたが、結果的には妊娠が分かって予定通り3月中に出産予定となりました。

妊娠が分かったと告げられても、男の人はすぐにピンと来ないと思います。
なぜならば、自分の身体に変化が起きないからです。

女の人の身体の中では、受精に成功してから猛烈な勢いで細胞分裂が始まります。
それに伴って体温が上昇してきます。

ですので、しばらくは体温が高くて熱っぽい時期があったと言っていました。

このときに「熱が出たかも」と言って安易に薬を飲んではいけません。

子作りをした行為に覚えがあるわけですから、すみやかに産婦人科を受診するのが賢明な判断です。

もしも、ここでしくじって妊娠が一年延びてしまったら、
どんな目に遭わされていたことかと想像するだけでも恐ろしかったです。

生活のためだからとは言え、相手が求めてきた課題を色々とクリアしていくのはなかなか
ハードなものがありました。


挙式について

入籍後に妊娠が判明してから挙式について具体的な話をしました。
もちろん、それまでにも何度か話し合って準備はしておきました。

決めたことは

  • 奥さんが国家公務員として働いており、職場には大勢の人がいる関係で、披露宴をやると誰を呼ぶ・呼ばないを考えるのはとても頭が痛くなると言っていました。挙式は2人きりで済ませようと二人で話し合って合意。
  • 式場は奥さんが自分で探してきたところに決定。
  • 式場のスタッフの方と打ち合わせについて、事前に奥さんから私に対して
    「一切、口をはさまないでほしい」「あなたは玄関の置き物みたく黙って座っていればそれでいい」という箝口令(かんこうれい)が敷かれていました。
  • こちらとしては「口を出さないので、後になってあのようにすれば良かった、こうすれば良かったなどのような後悔の言葉は一切口にしないこと」と告げて同意をしてもらってから打ち合わせをしていました。
  • 2人きりの挙式ではプロのカメラマンの方に撮影をお願いし、それをアルバムにしました。
  • 結婚披露宴はやらないようにしました。
    後日 それぞれの友達を招いてささやかなお祝いのパーティをやってもらいました。ドレスコードは2次会の服装にし、自分たち夫婦もその場の飲食代や会場費などもきちんと払って参加しました。
    奥さんが着ていた服は、本人の高校時代の友達が服を作る仕事をやっていたことからお祝いとしてオーダーメイドで誂えてくれたワンピース、
    私はそれに合う礼服を着用していました。

27歳のときは、人生で最も忙しく、充実していた時期でもあります。

これで、落ち着いた人生が・・・・

ということはなく、
今後始まるジェットコースター人生の序章にしか過ぎなかったのです。


今日はこの辺で

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