肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

紆余曲折の人生をストレートに表現しています。

26歳のとき  彼女と同棲生活

重心障害児のお宅でドーマン法リハビリプログラムの介助ボランティアに行くようになり、そこで知り合った女性と意気投合して付き合うようになりました。

お付き合いが始まったばかりのころ、彼女から「私のことを真剣に愛する気持ちがあるのなら、最初の三ヶ月間は身体の関係になるのを我慢してほしい。あなたは私のために我慢ができますか?」と言われ、性的な欲求を制限されたことがありました。

そこはもうある種の試験のようなものだということでこらえることにしました。
そのかわり、家で一人でいたときはあふれんばかりの性欲を解消するのに大変でした。

性欲を我慢する試験のようなことを経てから、相手から認めてもらえるようになり関係が深まっていくにつれてお互いに色々なことを打ち明けることが増えてきました。

自分が父親との軋轢に悩んで苦しんできたように、
彼女もまた自身のお父さんとの関係で苦しんできたことを知り、

彼女もお父さんとの関係を断ち切りたいということで同棲しようという話になったので、そのときのことを綴ります。



自分の生活リズムは実家の自営業の仕事を手伝うことをメインにし、
親友が家電製品の配送・設置の仕事をしていたので忙しくて呼ばれた時は助手としてアルバイトに行っていました。

その上で時間があれば、ドーマン法リハビリのボランティアにも行くような形にしていました。


私の問題点は、収入が安定しなかったこと。
他には学歴も高卒だったし、転職回数も多かったし実家の仕事では身元が保障されておらず、社会保険なども無かったため様々な要素で不安がありました。

あとは、父親と一緒に仕事をしていたので、いさかいがあるとそれを引きずってしまい家でも機嫌が悪くなるという問題を抱えていました。

大学の法学部卒の国家公務員として法律に関する仕事に就いていた彼女と比較すると、社会的な身分や収入などは雲泥の差がありました。

アパートを借りるとき、審査では私の名前や勤続年数では通らなくてけんもほろろだったのに、彼女の名前と職業や職場名で審査にかけたらあっという間にパスしたり

それどころか「もっと良い物件に住めますよ」と言われたりで、私の出る幕は徐々に無くなっていきました。

彼女は私のそういったことは「気にしていない」と言ってくれました。

ただ、一緒に暮らすようになってからは口論やケンカをすることで二人のルールが出来上がるというようなことを繰り返していました。

彼女からは、私が実家の自営業を手伝うことで父親と衝突を繰り返して悩み苦しんでいる姿を見るのは辛いということを言われました。

自分としては、実家の自営業がいずれ廃業することを告げられて、その中でも辛い就職活動をやって心を折られて精神疾患になったし、それが原因でひきこもり生活になりました。

そこから立ち上がろうとしていたときに、たまたま新聞記事でボランティア募集の話を知って、ボランティアに行くようになってからそこで彼女と知り合って恋人として付き合うことになったわけで・・・

あなたが外に出て誰かといさかいを起こし、心が傷つけられて落ち込んでいる姿は見たくないと彼女から言われて、こちらとしてもかなり悩みました。

アパートを借りて同棲するようになったので、確かに父親との距離ができるようになったのでそこはもう本当に救われたような気持ちになりましたし、

彼女自身としても忌み嫌うお父さんと離れることができたので、同棲しようという判断は正解だったと言っていました。


ただ、この先の人生をどうやって進めていこうかということについては、
前進したいがゆえに二人で話し合っては悩むという繰り返しだったように思います。


今日はこの辺で

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