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 肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

紆余曲折の人生をストレートに表現しています。

25歳のとき ドーマン法リハビリプログラムの介助ボランティア

就職活動に挫折して自室に引きこもる生活を改善するため、
寝る場所を洋室のベッドから和室に変更して布団を敷くようにしたり(布団の上げ下げだけでも軽いスクワット運動になるため)

朝晩は必ず部屋の換気をして掃除機をかけることを心がけていました。

実家の自営業の仕事に関しては、高齢で入退院を繰り返していた祖父と話をして、必要なときは実家の自営業の仕事を手伝い続けました。

家や仕事場にいると父親とどうしても顔を合わせてしまうのが苦痛だったため、あとは親友から誘われた時だけ家電製品の配送・設置のアルバイトに行くようにしました。

このような生活を送っていたとき、たまたま新聞を読んでいたところ重心障害児のお宅でドーマン法リハビリプログラムの介助ボランティア募集という記事が掲載されていたので、すぐにその家族の方に連絡取り、

指定された日時にそのお宅まで訪問して、簡単な説明を聞いた後にそのリハビリプログラムの介助をさせていただくことにしました。

もちろんボランティアですから、この介助をやっても見返りや報酬はありません。

やりたければ続ければいいし、嫌ならいつでも辞めることはできるような状況でしたので、相手の家族としても「来る者拒まず 去る者追わず」という姿勢で入れ替わり立ち替わりくるボランティアの方たちと接していたと思います。

上を見たらキリがない世界ですが、自分が育った家庭環境を考えると愛情や心の面ではあまり恵まれていなかったなと感じていたこと

人生の中のほんの一時期は自室に引きこもってしまったけど、とりあえず五体満足だったらその身体を誰かのために役立てることができるのではないだろうか?という気持ちがあったこと

以前にも重心障害児との接点があり、ドーマン法のリハビリプログラムの存在を知っていたのは大きかったです。

その記事はコチラ

22歳のとき 東京都内の駆け込み寺 3 重心障害児との接点 - 肉が行って魚が来る ຊີ້ນໄປ ປາມາ


重心障害児は身体的な自由を奪われているだけで、健常者と何ら変わりのない喜怒哀楽の感情も持っているし、不思議な能力を持った子がいたり、お金やビジネスといった人脈ではなく、本当に心そのものに魅かれるような空気を感じており、

週に一度は予定を入れてこのボランティアに行くことを心待ちにしていた自分がいました。

そのくらい、こちらは本人のことを気に入っていましたし
相手もまた自分のことを受け入れてくれたのだと思います。

他にも定期的にボランティアとしてお手伝いに来る方がいたのでそういった方たちとの出会いがあり、色々と雑談しながらできたので新鮮でいいなと思って取り組んでいました。

おそらく、この時期は引きこもりからの脱却は成功していたように思います。

ただし、睡眠障害や精神面で感情の変動が大きかったのは事実ですし、幼いころに受けた心の傷や父親との関係が劇的に良くなるようなことはありませんでした。

ゆえに、精神科への定期通院は続けていました。

その先何年かしたら実家の自営業の仕事が廃業することが決まっていたので、いつまでもアルバイトやボランティアをやっていられるような状況ではないこと、将来の自分の仕事を何とかせねばと考えながら毎日の生活を送っていました。

ボランティアっていうと、何か特別なことだとか身構えてしまう人がいることでしょう。

偽善者だと言う意見もあるでしょう。

自分が確信したのは精神的なことが原因で人生に挫折したり、ひきこもりになってしまった人は

一時的でもいいからどこかで何かのボランティアに行くことはとても良いってこと。

善か偽善かといったシロかクロかと言った単純な思考ではなく、 
きっとその作業を通じて、自分のことを必要だと言ってくれるような方に出会えるはずです。


今日はこの辺で

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