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 肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

紆余曲折の人生をストレートに表現しています。

25歳のとき  ひきこもりが自分を取り返すために戦った

25歳になるまで今まで一度も両親に反抗したことが無かった自分。

人生に一度や二度くらいは感情をむき出しにして狂乱状態になってでも、両親に反抗しなきゃいけない時期は必要だということ。それは小学生や中学生くらいの時期の方が良いような気がします。自分は反抗期がないまま(言葉で脅されて反抗すらできなかった)ずっと従順なままでいることを強いられてきました。本音を隠して自分の感情にフタをし続けることになるので、いずれ人生がおかしくなります。
それなので、自分を取り返すためには両親と戦わなければならない時期が誰にでもあるということを言いたいのです。


実家の自営業が廃業することが決まり、人生で何回目かの就職活動で挫折し、無慈悲で無責任な批判や心外なことを言われ続けるうちに、生きて行く自信がなくなり自室にひきこもるようになってしまいました。

父親が発した言葉がスイッチとなり、それまで心に溜まり続けたマグマのような怒りの感情が大爆発。

泣きながら半狂乱になって父親に殴りかかり、最初の跳び蹴りは当たったのですが、
その後は投げ飛ばされて抑え込まれて失神寸前まで首を絞められました。

こんな経緯を経て、色々な精神科を受診しては主治医との相性や薬が合わない等の理由で幾度となく転院し続けたときの話を綴ります。


以下、本題となります。


両親は私に総合病院の精神科を受診するように言ってきました。
口で言うだけで、受診の付き添いは一切しませんでした。
嫌々ながら私は一人で精神科を受診しに行きました。

精神科医ってタヌキみたいで変な人が多いのか、その先生とは相性が合わなかったのか理由ははっきりとは覚えていませんが、

一番最初に総合病院で診察を受けたとき、過去の辛かったことを繰り返し質問され、それを答えるのが苦痛になってしまい途中で拒否して「もう嫌だ、帰る」と言って診察室から出てきてしまいました。

家に戻ると「とにかくおかしいから精神科に行って」と言うだけでその他は一切関わろうとしない両親に対して反感を持ちながら、自分は電話帳やインターネットで地元で通うことができるような精神科を受診しました。

基本的には自室にひきこもる生活を送りながら、精神科の通院のときだけは気力を振り絞って動くようにしました。

もちろん身動きができなくて受診できないという時期もありました。

ちょっと話してみて相性が合いそうなら何カ月か通い、主治医との相性が合わないと自分が判断すれば、もう何の躊躇もなく転院を繰り返しました。

何カ所か受診するうちに、精神科の病名なんて主治医の主観でしかないんだな、検査を経て一定の基準があるわけではないんだなということに気付き初めました。

当時付けられた病名は色々ありました。
覚えている限りを挙げてみます。

行くところでこのような診断を受けました。
そして、色々な種類の薬が処方されました。
一度に何種類もの薬が出たこともありますし、少ない種類だったこともあります。

処方された薬で覚えているものを挙げてみます。


精神科の診察は予約で行っても何時間も待たされるのに、診察はほんの数分という
瞬察?分察ということにも大きな疑問と抵抗を感じていました。

時間をかけて、自分と相性の合う主治医を見つけることができたため、
最終的には一か所の病院に限定し、精神科の公費負担制度も利用して長く通院することにしました。


自分の場合、精神科の薬は効き目が結構強く出たので効果が出て良い反面、
依存のような状態が長く続いてしまいました。


全ての薬ではありませんが、種類によっては長い期間かけて服用し続けたものを断薬したとき、頭にビリビリと電流が走るようなしびれがあったり、急にめまいがするようになったり、眼球が振動するような離脱症状が繰り返し続いて苦しい思いをしました。

それを主治医に相談したときは「そんなの知らない」みたいな反応をされました。こういうところは通うのを辞めるようにし、何カ月も続く離脱症状にもがき苦しみながら長い時間をかけて断薬できたパターンもありました。

精神科医の全てが悪いとは言いませんが、薬の処方で点数稼ぎをして診療報酬を稼ぐような医者が一定数いることを痛感しました。

なので、主治医と相性が合うかどうかはとても重要な要素なのです。

曲がりなりにも精神科に定期通院し続けた結果、昼夜逆転の生活は改善されるようになりました。

両親は「またすぐにでも働け」みたく言ってきましたが、結局のところ理解はされていないんだなと感じました。

どんなに良い主治医がいたって、どんなに効き目のある薬を飲んだって
心の底から家族が理解してくれないと治りません。

両親はどうしても現実逃避といいますか、都合の悪いところは見てみないふりという
考えを持っていたように思います。

精神科=おかしい人が行くところだと思っていた両親は、自分たちの子供が精神科なんかに通うようになってしまったことを受け入れることができなかったのでしょう。

通院と服薬の甲斐あってか朝起きて夜に寝ると言う、規則正しい生活はできるようになってきていたので、自分は何かの理由をつけて外に出られるようになりたいなと思い始めました。


今日はこの辺で

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