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 肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

紆余曲折の人生をストレートに表現しています。

25歳のとき  ひきこもりがトラウマ返しで親父に跳び蹴り

数年後、実家の自営業が廃業することになりました。

人生で何回目なのか数え切れないくらいの就職活動をしていたときに、不採用が続いたり、面接先で心外なことを言われ続けたことで心が折れてしまい、生きる気力を失って自室にひきこもるようになってしまいました。

先の見えない暗闇を彷徨っていたときに、ふとしたことがきっかけで生まれて初めて父親に殴りかかったときのことを綴ります。



以下、本題となります。


普段は朝5時半か6時には起床して朝食を済ませてから身支度をし、テレビや新聞などのニュースをチェックして7時半過ぎには車に乗って出勤するという生活サイクルで過ごしていました。

ひきこもるようになってからは、朝の決まった時間に起きることができなくなり布団に張りついたまま時間だけが過ぎていくようになりました。その影響で昼夜逆転という生活になってしまいました。

就職活動でひどいことを言われたことをずっと引きずってしまい身動きが取れなくなってしまいました。

同時に、昔 父親からされてきた肉体的・精神的虐待を受けたことを思い出しては気分が悪くなるという悪循環を繰り返していました。

こんな状態ですから、就職活動で外に出た時にまた心外なことを言われたらどうしよう、また無慈悲で無責任な批判をされたらどうしようと言った感じで心は苦しくなるばかりで布団から起きることさえ困難な状態にまで陥ってしまいました。

ただ両親は「働け」と言うだけ。こちらの本心などお構いなし。

幼いころから他の兄弟には色々と手をかけていたのに、自分はあまり手をかけてもらえませんでした。

その様子を「手のかからない良い子で、子育てが楽」とあちこちで言っていたようです。小学校時代の文集にも作文の後に母親からおめでとうの言葉が書かれていたのですが、そこにもそんな内容が書かれていました。

ただ従順であることを押しつけられ、親に反抗することさえ許されていなかっただけなのですが・・・。

両親は「仕事で忙しい、住宅ローンの返済が大変」が口グセで現実逃避ばかりをしていたのと、私のことなど二の次だったと思います。

その象徴として、ちょっとでも意見を言えば「黙れ」「死ね」「出て行け」「飯抜き」で脅すのです。

俺だってこんな両親を選んで生まれてきたわけではない・・・という思いが強く、
一人でもがいて苦しんでいました。

何日かこんな生活を過ごしていたところ、父親が呆れた様子で文句を言いに来ました。

「貴様はいつどこで何をやっても駄目な奴だな」
嘲笑しながらニヤついた顔で言うのです。

でも、自分は何を反論することができずただ黙って聞いているしかありませんでした。

父親「お前なんか生まれてこなければ良かったな、生まれてきてこんなことになったなら親に対して申し訳ないと思え。親に向かってごめんなさいくらい言えよ、生まれてきてごめんなさいと言え」

この言葉を聞いたことがきっかけで、自分の心にあったリミッターが外れました。

小学生のころ、父親からランドセルを隠されたときのことが脳裏に蘇ってきました。
記事はコチラ  幼少時から小学校4年生までの話 - 肉が行って魚が来る ຊີ້ນໄປ ປາມາ


父親が一通り文句を言って部屋から去るときに、背中を向けたのをチャンスだと思い、

小走りで接近して、
背後から思い切り跳び蹴りを入れてやりました。

幼いころからずっと抑圧され、我慢に我慢を重ねてきた自分でしたが25歳のときに生まれて初めて父親に反抗したのです。

もうそのときは泣きながら反狂乱になって父親に突進していきました。

「俺はお前に虐待されてたんだぞ!昔の俺に謝れ!!俺は好きで生まれてきたわけじゃねぇんだよ!俺がお前を父親だなんて思ったことはねぇ!!」と無我夢中で泣きながら蹴りを喰らって倒れていた父親に掴みかかりました。

しかし父親は柔道経験者。しかも身長170cm 体重100kgのデブ。

あっさりと起き上がり、床のフローリングの上でこちらを掴むと払い腰で軽く投げ飛ばすと今度は父親が上に乗ってきてこちらの首を絞めてきました。

「貴様のような何やってもダメな奴、生きててもしょうがないだろ!今すぐここで死ね」と怒鳴りながら、ものすごい力で首を絞めてきました。おそらくこちらを失神させようとしていたのだと思います。


頸動脈を圧迫されて徐々に意識が遠のいていくのを感じました。
結局は、母親が止めに入ったことでその場は収まりました。
もうその後も泣きながら苦しまぎれに言葉にならない言葉を吐き出し続けました。

と同時に、その後も自分は大暴れして部屋中の壁を殴ったり蹴ったりして穴を開けたりしました。

それだけ苦しかった感情が溜まっていて吐き出したかったのです。

苦しくても何も助けてくれない両親

見栄や体裁ばかりを気にして、こちらの話にはまるで耳を傾けない両親

中学生のときに進路を決める段階になって、「ウチは金がないから進学しなくていい」と言われたこと、その他いろいろ。

母親は号泣していました。
でも父親は虐待の事実を認めようとせず、あくまでしつけ、教育だと言い張っていて話は平行線のままでした。



親戚の中に○○医師と薬剤師がいるので、後日 父親はその二人に私のことを話し、
どうやら即効性のある強い麻酔か睡眠薬を手に入れたいと相談していたようです。

私が寝ているときを狙って麻酔を打つか、食事の中に強い睡眠薬を混ぜて昏睡状態に陥らせてから、自分をどこかの施設に預けるか精神科病棟に入院させようとしていたそうです。

やっぱり父親はこういう奴だったのです。

でも、身内の○○医師と薬剤師だってバカではありません。

そんなことをしたら自分たちの身が危なくなるだけですので、父親をなんとか説得してくれたようでした。


後日、母は私に向かって総合病院の精神科に行くように話をしてきました。
かといって、両親のどちらも精神科に付き添うことはしませんでした。

たった一度の反抗でトラウマ返しをしたことがきっかけで「精神的におかしい、狂った奴」という烙印を押されるようになりました。


病院に行けと言いながら、自分の子供が精神科を受診するのはどこか認められないようなそんな空気が漂っていました。

両親がそんな考えだったら、いくら良い主治医がいてもどんな薬を飲んでも
根本的に治ることはないだろうにな・・・・

結局、「精神科に行け」と言うだけであとは何も助けない、
こちらの話すら聞こうとしない両親を尻目に

自分で精神科のある総合病院を探して受診することになりました。


今日はこの辺で





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