肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

紆余曲折の人生をストレートに表現しています。

自分の価値は誰が決めるのか

自分の価値って何なんだろう?誰が決めるんだろう?

ここで言う価値とは、誰かが私を見て「こういうことなら仕事を出していい、お金を払ってもいい」と思っていただけるような能力や結果のことを意味しています。

以前、働いていた会社で言われたのは

「給料というのは、その人に対して払うのではなく仕事の結果に対して払うものと認識しなさい」ということ。

この言葉は今でも指針になっています。

他人の目線は気にしないと言いながらも、

結局は仕事をやって給料や報酬を払っていただくことを考えると
やはりその相手にとって何かの価値を生み出すことが必要だと思うんです。

肝心なことは額に汗して自己満足することよりも、
仕事の結果が相手の役に立つのかどうかってこと。

翻訳者や通訳者としては
最低限必要なラオス語能力(読む・書く・聞く・話す)は身に付けているので

それ以外で何があるんだろうなって考えてみました。
しかし、なかなか思い浮かばないのが正直なところです。

ラオス滞在時、とある日本人からこのようなことを言われました。

「君はラオスにいてラオス語を話すから価値があるだけ。君など日本に帰ったら何の価値もない」

このように言われたときは、相手の髪の毛を毟ってやろうかと思うくらい腹が立ちました。

しかしながら、今になってこの言葉を受け入れないといけないのかと思うとなんだか悔しいです。


今日はこの辺で

広告を非表示にする