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 肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

紆余曲折の人生をストレートに表現しています。

25歳のとき  廃業の決断

人生の軌跡

実家の自営業を手伝っていた頃、祖父(代表取締役)・祖母(経理)・父親(専務)が話し合って、
ひとつの決断を下しました。

それは、およそ30年に渡って営んできた仕事を廃業すること。

自分が手伝ったのはほんの何年かですが、元軍人だった祖父が代表取締役としてゼロの状態から創業して30年ほどの年数が経過していました。

ずっと取り引きを続けてきていただいた顧客との関係があるので、急速に閉めるのではなく何年かかけて徐々にペースを落とすような形でやっていこうという結論になりました。

  • 祖父母が高齢であったこと
  • 親族以外の他人を雇ったり、仕入れや経理でOAを導入するほどの投資も困難
  • 同業他社が勢力を拡大してくるようになり、同じ商品でも大量に仕入れて安く売るというスタイルに太刀打ちできなくなった
  • 納品のスピードでも他社に負けるようになってきた

枚挙に暇がありません。


簡単に数行で書いていますが、結論が出るまではとても書ききれないくらいのやり取りを繰り返しました。

倒産にせず廃業という形を取ったのは、家族親戚の皆が外で恥をかかないようにしたいという祖父母の気持ちがあったからで

プライドや世間体、見栄もあって「あの家の仕事は倒産した」のように近隣から見られることだけはどうしても避けたいと言っていました。

倒産と廃業では全く意味が違います。
そのように考えてくださった祖父母には感謝しかありません。

「商売が続かなかったのは、貴様がもっと早く後継者にならなかったからだ」と父親

「仕事やお金のためとはいえ、バカヤロー、コノヤローなどと電話で相手を罵倒するような仕事、継ぐわけがない」と自分。

不毛な水かけ論が終わることはありませんでした。

在庫として抱えてしまった商品は、いってみればすべて借金と一緒なので時間をかけてでも在庫をゼロに持っていこう、長期在庫になりそうなものはうまくはけるようにしようと話し合いました。

自分を養っていただいた仕事が廃業すると決まったときの気分は何とも言えないくらい悲しいものがありました。

かといって、代案が思い浮かぶこともなく、ただ現実を受け入れるしかありませんでした。

祖父の指示でこの先何年かかけて廃業していくということを、
最初は口頭でメーカーや各取引先、顧客等に通知していきました。

祖父や父親が仕事のお付き合いと称してお酒を浴びるように飲み、
多大な接待交際費をつぎ込んだ相手は何の躊躇も無く離れていきました。

電話口で父親から怒鳴り散らされて失敗を責められたような相手も自然に離れていきました。

あー、結局のところ世の中は金の切れ目が縁の切れ目なんだな。

あれほど親友や友達だと言っていた人たちが掌を返して去っていく様子を目の当たりにし、
一時期、どれだけ親しく過ごしていてもしょせんはビジネス、お金だけの関係だったんだなと
いうことを痛感させられました。

そして、自分には新しい課題が降りかかってきました。

そうです、

実家の仕事を手伝いながら、またしても就職活動をしないといけない状況になったのです。

「一体、人生で何回目の就職活動なんだよ~(T_T)」

まるでドリフのコントでタライが頭上に落ちてきたときのあの感じです。


時期を同じくして祖父が体調を崩して入退院を繰り返すようになってしまい
それに伴って仕事上の決断は全て父親(専務)がするようになり、

自宅でも仕事場でも置かれた状況が父親の感情のゴミ捨て場のような状態になっていき、

自分も心身ともに荒んでいくようになりました。

ただ、投げ出すことをしなかったのは、祖父母のことを気に入って長い年月に渡ってお世話になってきた顧客に迷惑をかけるわけにはいかないという一心で踏ん張っていたのだと思います。

今日はこの辺で

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