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 肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

紆余曲折の人生をストレートに表現しています。

23歳のとき 実家の自営業を手伝うことになった 2 お金に対する心のブロックの原因

祖父が有限会社の代表取締役、祖母が経理、父親が専務という自営業の仕事を手伝うことになりました。

基本的には卸売業のルートセールスとして顧客を訪問し、注文や納品が中心で
自分の場合は、祖父や父親がド素人で施工してしまった電気配線の手直し等も含めて
仕事を進めていました。

家族で仕事をすると良い部分もそれなりにあるのですが
その反面、悪い部分も多く見られました。

そんな話を綴ります。


以下、本題です。


元軍人だった祖父母が会社を設立した経緯は息子(私の父親)に仕事を与えるというのが大きな理由だったそうです。

父親は中学校を卒業後、どこかの高校に入ったものの、先輩といさかいを起こしてしまい
ケンカの果てに柔道の技を使ってアルファルトの上で相手を投げ飛ばして大けがをさせ、それが原因で高校を中退し、ろくでなしのクズ人生を歩んでいたそうです。

そんなわけで、
祖父母は息子に仕事を与えて食べさせる意味もあって会社を設立したそうです。

父親本人としては「与えられた仕事をやっているのだから、それでお金をもらうのは当然」と思っていたそうですが、

祖父母としてはどうしても「食わせてやっている」という感情が拭えなかったと言っていました。

自分は祖父母と父親との関係を目の当たりにしながら、仕事をやっていたのですが徐々に面倒だなと思うことが増えてきました。

祖母が経理を担当していて、すべてのお金の流れは帳簿につけて細かく管理されていたので
何かある度に祖母がこちらに向かって色々と小言を言ってくるようになりました。

「私達が食べるもの、着たいものを我慢していて、その分をあなたたちに回してあげているんだから感謝しなさい」

「あなたたち子供がいるせいで、私たちはこんなにも我慢をさせられて苦しい思いをしている」

「何事も最低限あればいい。衣服、食べ物、車、家など決して贅沢はしてはいけない」

「あなたたちがご飯を食べていけるのは、私達が会社を作って仕事を作ったから。誰のおかげだと思っているのか考えなさい。そして感謝しなさい」

「あなたたちみたいなのが幸せになったら困る。そのために私達が犠牲になっているんだから」

毎日、こんな話ばかりを聞かされるようになりました。

祖母は病的なほどお金の管理には細かく神経を使っていたため、
「あのとき、あなたにいくらの小遣いをあげた」
「この前、親戚の○○さんが亡くなったときにいくら包んだけど、こちらの身内に不幸があったときは、全然少ない金額しか包んでこなかった」などと
日付や金額、相手のことなど細かく記憶しているのには本当に辟易とさせられました。

もちろん、会社の経理としてはお金の流れを完璧に把握するのが仕事だし、利益をどれだけだすか、経費でどのくらい取られるのか掴み、瞬時に頭の中でそろばんをはじいてお金の計算をする能力には長けていたと思いますが、それゆえにお金に関する恨みつらみなどは相当なものを持っていました。

大人になって気付いたのですが、祖父母や父親がこういうことを子供に押し付けるようになると、徐々に子供の心の中に罪悪感が植えつけられていきます。

お金に絡んで「~してはいけない」「~すると咎められる」「~すると怒られる」
こんな感じで物事を考えていくようになり、
大人になったころには「お金に対する心のブロック」というものできてしまいます。


父親が仕事を終えて帰宅すると、家の中は感情のゴミ捨て場となってしまい、
気に入らないことがあっては、母に八つ当たりをして怒鳴り散らし、殴る蹴るの暴力を奮い、
子供には「誰が食わせてやってんだ」と怒鳴りまくるということが日常茶飯事のようにありました。

「てめぇらなんかのために働くのはバカバカしい」

「てめぇらなんか幸せになるんじゃねぇ」

もしも、会社で他人を雇っていたならこんな風にはならなかったのかなと思います。
家族だからこそ、感情の絡みもあってこんなひどい有様になってしまったのでしょう。

祖父母と父親は自営業をやって、お金の損得の計算には才能があったと思いますが、

人としての心のようなものはあまり無かったのかも知れません。

取引先の相手が何かを間違えようなものなら、電話口で「バカ!」「アホ!」と怒鳴るのは当たり前で「てめぇの会社の商品、売らねぇぞコノヤロー」と吠えているところもよく見かけました。

仕事だから何を言ってもいい、何をやってもいいと考えていたのでしょうか。

自分にとってはずっと耳を塞ぎたくなるぐらいひどい環境でした。

会社や家ではメチャクチャな環境でしたが、仕事の訪問先では
問題もなく仕事を進めることができていたのはやはり祖父母の努力が大きかったからだと思いました。


今日はこの辺で。

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