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 肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

ラオス語の文書を日本語に翻訳する仕事を承っております。ラオスに辿り着いて翻訳者になるまでの人生の軌跡も綴っています。

23歳のとき 実家の自営業を手伝うことになった 2 養っていただいた仕事のルーツを知ったとき

人生の軌跡

電気工事に関する知識や経験があることから、専務をやっていた父親から電気配線のことで質問をされたことがきかっけで実家の自営業を手伝うことになりました。


以下、本題となります。


事業の内容は、メーカーから商品を仕入れて他に転売するような卸売業ということで
定められた納期さえきちんと守って商品を納品すれば、電気の知識などは不要だったのです。

では、なぜ電気配線のことで聞かれるようになったのかという経緯について説明します。

家の仕事というのは、元軍人だった祖父が代表取締役になって設立した有限会社なのですが、
最初は資金もない、あまり仕事もないところから自転車を買い、そこに商品を積んで配達したり、注文を取ったりと・・・・こういうところがスタート地点になっています。

もちろん、まだ自分は生まれていないときの話です。

だんだん、注文が増えてくるにつれて配達用の自転車がオートバイになり、次はようやく車が買えるようになっていき・・・こんな感じで文章を書けばたった数行で済んでしまいますが、実際はこの間だけで何年もかかっていますし、相当な苦労を経て到達しています。

祖父が事業を始めたばかりのころ、どうしても人と人とのつながりを大切にしたい、
客先で頼まれたことは極力断ることがないようにしたいという思いがあったからなのか、
とにかくお客さんから気に入られるように営業努力を重ねてきたそうです。

取り引きを何回も重ねて気に入っていただいたお客さんからは、夕方の納品が済んだら「そのまま飲んでいけ」と誘われるようになり、お付き合いと称しては深夜から早朝まで浴びるようにお酒を飲み、

酔いつぶれて動けなくなった祖父を、父親が迎えに行って回収したことも数知れず。
営業の仕事は酒が飲めるほうがいいというのを実践していたのだと思います。

電気の知識が要求されるようになったのは、ある顧客のところで納品が済んだときに、
コンセントや照明器具など、ちょっとしたところの配線を見てくれないか?と頼まれて

「専門外だから」とむげに断ってしまうのは気が引けると思ったのか、
適当に我流で直してうまくいってしまったことが発端でした。

色々なところで何回かそういったことを経験して自信をつけるようになり、仕事の注文を取ったり納品に行ったついでにちょっとした電気配線のことなら引き受けるようにし、それに応えていくことで営業の成績も上げていったそうです。

父親が専務となって仕事をするようになってから、そういった仕事もよくこなしていたようですが、

電気の知識のないド素人にはすぐに限界がきてしまったようで、
そのときに無職生活を送っていた自分に声をかけて「ちょっと配線見てくれ」と頼んできたわけです。

最初は乗り気がしなかったのですが、私は職業として電気工事の現場経験や知識があったことから「ちょっと見るくらいね」の気軽な感覚で引き受けて見に行くことにしたのです。

実際に現場に入り、過去に父親がやったという電気配線をひと目見て唖然としました。

本当に、ド素人の日曜大工と何ら変わらない様子で
配線方法や電線の結び方までを軽く見ただけで
これはひどい・・・何かあったら燃えるぞ」と気付いてしまうくらいだったからです。

持っていた材料や工具類も素人そのもの。これでは良い仕事はできないでしょうに・・・。

「情けないわ。よくこんな程度で仕事をしてたな」
という気持ちと


「この仕事で家族を養っていてくれていたのか」という気持ちもあり、

仕事の結果に対する情けなさと、それまで家族を養ってくれていたことに対する感謝の気持ちとが複雑に絡み合って、何とも言えない感情になりました。

父親が額に汗ながら何時間かけても全く分からなかった現場は、
私が介入したことでわずか20分程度で無事に解決することができました。

「そりゃ素人には無理だよ~」という気持ちを引きずりながら、
事務所で祖父と父親におそるおそる聞いてみました。

私:「今までさ、こういうことって何件かあったわけ?」

祖父:「数え切れないくらいやっている。」

父親:「俺たちの仕事にケチつける気か?」

私:「正直いうと、配線方法やつなぎ方がマズイ。万が一、火事にでもなって責任取れって言われたら大変だよ」

そのときに、自分の心の中で過去の記憶が蘇りました。
(続) 中学3年生のときの話 2 人生が詰む前兆 - 肉が行って魚が来る ຊີ້ນໄປ ປາມາ


そうか!

本当は、祖父も父親も自分には電気の勉強をさせて
実家の仕事を継いで欲しかったんだろううか?

それの象徴が
「地元の工業高校の電気科に行け。それ以外の高校にするなら学費は出さない」
だったのか!


だったら、最初からきちんと
「家の仕事を継いでくれ。工業高校の電気科で学んでほしい」と
一言言えばヨカッタのに・・・・・

なんて不器用な人たち!!

それで、こちらが電気の道から外れたときは色々と罵倒されたのか・・・。
本当の気持ちを言葉にせず、ただ親の背中を見て察してくれでは何も伝わらないじゃないか。

こんな経緯を経て、

自分も実家の自営業を手伝うようになり、
基本的にはルートセールスとして注文を聞いて納品をしながら、
過去に祖父や父親が素人同然でやった電気配線等の修正などを追いかけて直していくことにしたのです。

もちろん、どこの顧客を訪問しても「ちょっと見させてくださいね^^」くらいの気軽な会話から入って、さりげなく修正しておく・・・の繰り返しをして悪い部分を直していくことにしました。

時期を同じくして高齢だった祖父が一人で仕事に出かけると、思ったように車の運転ができないのかどこかに車をこすって帰ってきたり、

訪問先で注文を取ってきた商品の数量や金額などを間違えるようにもなっていた時期だったので、そういったこともあって仕事を手伝うことを決めました。


子供から見たら親の存在は絶対的なものであり、完璧なんだと思っていました。

養っていただいた仕事に感謝をしながらも、

電気配線の仕事の結果や材料、持っていた工具類を見た途端、あまりにも不器用で問題だらけだったことに気付いて祖父や父親の背中が小さく見えた瞬間でもありました。


今日はこの辺で

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