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 肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

紆余曲折の人生をストレートに表現しています。

23歳のとき 実家の自営業を手伝うことになった 1 圧迫面接なんて詭弁だろ

就職活動をしていた時、珍しく父親から「どうしても分からない電気配線があるから見てくれ」と言われて実家の仕事を手伝うことになったときの経緯を綴ります。


以下、本題となります。


東京都内の駆け込み寺でお世話になってから2か月半が経った頃、


住職の教えや信仰する内容と現実で生きる社会生活との間には大きな隔たりがあることを感じていました。

突き詰めて言ってしまうと、お寺で何の不自由もない生活ができたのは
檀家の方たちが定期的にお金を支払っていただいているから。

お寺としても檀家さんのために定期的な行事を催したりや通夜や葬式、お墓の管理など多岐にわたる仕事をやっているのは分かっていましたが。

どんなに崇高な理論を言ったところで、
結局は現実の社会生活で稼いだお金を回さないと誰も何もできない・・・
難解な仏教用語を使って話をしたところで社会で応用できないなら
絵に描いた餅と一緒ではないだろうか?自分は現実逃避だったのではないか?
という結論に至り

実家に戻り就職活動を再開させることにしました。


当時の就職活動でキツかったのは、
正社員の仕事で1~2年程度勤めただけの短い期間に転職を繰り返していたという職歴に関して批判されたこと、

学歴を見ては工業高校や商業高校を出ているなら専門性があるから良いものの、最終学歴が普通科通信制課程というのは、脱落者なんでしょ?とはっきり言われたこと

面接のとき、目の前でタバコの煙を吹きかけられたこと
※ 私は非喫煙者です。

大学を出ていないことを低く見られてバカにされたこと、

自分がまいた種とはいえ、こうも世間の目が厳しいのだということを思い知らされました。

はっきり言って、見下されていたのだと思います。

今となっては笑える話ですが、
色々な会社に行って面接を受けたときに多くの面接官は言いました。
「君の人生のためを思って言っているんだよ」
と前置きし、口から出てくるのはこちらの学歴や職歴についての非難ばかり。


で、結局不採用の連続。

全然、こちらのためになっていませんでした。

働いていなくて家に居れば社会や家族からは「働け」と言われますが、
いざ、就職活動をしたら「お前なんかいらん」と言われるわけです。

スーパーで陳列されている野菜のように、
同じ農家の方が作ったものでも、単純に見た目が落ちるだけで陳列されなかったり、
廃棄されるものがあるように、

自分もまた企業にとっては、経歴が悪くて魅力のない人間に見えていたのでしょう。
野菜なんか皮を剥いて切ってしまえば、元の見た目なんか関係ないのになぁ、
人間もこれと一緒に見られているんだなということを感じていました。

どんな仕事にも言えることで
学歴や職歴が優れているからという理由で採用しても続かない人はいるでしょうし、
学歴や能力が劣っていても、採用したら努力を重ねて結果を出す人もいるはずです。

結局、会社と言うのは傷の無い経歴を持っていて順風満帆な人生を歩んでいる人が欲しいんだなということを知り、働くことの意味ということを深く考えさせられました。

圧迫面接で心を折られ、落胆して帰宅することも多くありました。
圧迫面接なんて詭弁だろ


苦しい就職活動をしていたとき、それを見るに見かねてか
珍しく父親が話しかけてきました。

「仕事で電気の配線やってんだけど、どうしても分からないところがあるから見てくれないか」

それまでの人生で父親が何か頼みごとをしてくるだなんてほとんど見られなかったのに、
珍しく頼みごとをしてくるので、びっくりしていました。

当時は本当に電気配線で困っていたのでしょうか?
手を差し伸べる意味もあったのかも知れません
父親の本心は分かりませんでした。

実家の商売といっても元軍人だった祖父が兵役から戻ってきて
代表取締役として有限会社を設立し、祖母が経理を担当し
父親が専務という卸売業で何十年もやっていた会社で働くことになったのです。


今日はこの辺で


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