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 肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

ラオス語の文書を日本語に翻訳する仕事を承っております。ラオスに辿り着いて翻訳者になるまでの人生の軌跡も綴っています。

22歳のとき 東京都内の駆け込み寺 1

人生の軌跡

仕事が長続きしないことを父親から罵倒されていた頃、とても苦しい思いをしました。
以前、スピリチュアルカウンセラーの方から名刺をいただいたことを思い出し、
藁にもすがるような思いで連絡を取って俗世間から逃げるかのように東京都内にあるお寺に駆け込んだときのエピソードを綴ります。


以下、本題となります。

仕事が続かなかったことに対し、家では両親から責められて怒りをぶつけられるようになりました。

  • 中学卒業後、工業高校の電気科に進学→暴力事件があって、2年のときに通信制の高校に転校。
  • 高校卒業後、新聞配達の仕事→正社員だったのに、保険関係の手続きがされてなかったことやボーナスが3万とか5万ということに耐えきれず退社。
  • 電気工事業の会社に就職→無言で仕事をする、仕事でミスったところも指摘されない、まともに仕事を教えてもらえないことに反発して退社。
  • 消防設備を扱う会社に転職→一か月あたり140時間の残業・休日出勤が何カ月も続き、過労で入院。
  • 同じ会社でテレビ電波障害対策工事を扱う部署へ異動→仕事の進め方をめぐって取締役部長と口論し「てめぇなんかやめちまえバカヤロー」と言われ、こちらも「やめてやらぁ」と大声で怒鳴り返して退社。
  • 別の新聞販売店で朝刊配達のアルバイト→職場でお世話になったエリアマネージャーが学会員で、猛烈な勧誘にあって耐え切れず退社。

これらのことを挙げて父親は私に言いました。

「お前はどこで何をやってもダメな奴。家から出て行け。」

途方に暮れてしまった私は、子供の頃からのくすぶり続ける得体の知れない思いを心の中で引きずり続け、ただひたすら苦しい思いをしていました。

子供のころから誰も助けてくれない人生のこと、見栄や体裁、世間体ばかり気にして何も相談に乗ってくれない両親、たいしてロクな会話もせず誉めることなく怒鳴るだけの父親、自分たちの常識にないことは何でも否定する両親・・・

特に苦しかったのは父親から肉体的・精神的に虐待を受けたこと、
それを母親が見て見ぬふりをして全く助けてくれなかったこと。

なぜこんなにも困難ばかりがつきまとう人生なのかという思いが頭を駆け巡り、
枚挙に暇がありません。

消防設備を扱う会社で働いていたころ、講演会に来たスピリチュアルカウンセラーの方から名刺をいただいたことを急に思い出し、藁にもすがる思いでその方に連絡を取りました。


事前に銀行振り込みで相談料を払ってから電話相談にのっていただきました。

苦しさのあまり、支離滅裂で言葉にならないほどメチャクチャな会話だったと思いますが、
それでも真摯に話を聞いてくださりアドバイスをしてくれました。

カウンセラー:「私の知りあいでお寺の住職さんがいます。その方はあなたのように人生を漂流してさまよっている方を助けることをしています。私の知り合いの方も一度は死にかけたくらい大変な人生を歩んだ方がいますが、そこのお寺でお世話になって元気になって出て行きました。あなたのことを話してみたら、住職が受け入れてくれるというので、着替えと洗面用具だけ持って東京まできてください。一度、都内にある私のカウンセリングルームに来ていただき、それからお寺へ案内しますので、一緒に行きましょう。」

こんな流れで話がまとまり、東京都内にあるお寺へ行くことになったのです。

お寺には同じ境内の中で表と裏という2つの顔がありました。

表は浄土宗から認められた正当なお寺として。
常に修行僧の方が何人かいて色々な仕事をしていました。日ごろから大勢の檀家さんを抱えていて、誰かが亡くなったときは葬式や通夜をやり、境内にはお墓もあって本当に普通のお寺として存在していました。

裏のお寺は浄土宗の教えを基に、住職が突きつめた「本当にやりたいこと」を実現させるために作られたお寺。修行僧の方たちはここで一緒に寝食を共にして生活していました。住職の知り合いの方や檀家の方が気軽に訪ねてくるような温かい場所でした。

自分がお世話になったのは、裏のお寺のほうです。

面談をしたとき、住職は言いました。

「こういう現代版の駆け込み寺を作ったのは、あなたのように心が病んだり人生に迷って漂流してくる人を救うため。生活費などのお金や報酬などは一切受け取りません。髪は切らなくてもいいし、好きなだけ居てもいい。出家して修行僧になりたければそれでもいい。早く出て行きたければそれでもいい。ここで暮らす上で守って欲しいのは朝晩の勤行やお寺の中の掃除、住職の講話を聞いたりお寺の行事に協力すること。あとは修行僧の序列や指示を守ってもらい、簡単な仕事をすることだけ。難しい仕事は指示しないので安心しなさい。あなたが何か生きるための手がかりをつかんでくれればいいかなと思っています。」

こんな感じで受け入れていただくことにしました。

このときは知る由も無かったのですが、

世の中、タダより高いものはないということ

単なる食う寝る場所としてお寺を利用してはいけないこと

お寺で学んで信仰する内容と、
日常生活の間には大きな隔たりがあって、

地面に足が着いた考えではないということを
後になって痛感させられたのです。



今日はこの辺で。

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