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 肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

ラオス語の文書を日本語に翻訳する仕事を承っております。ラオスに辿り着いて翻訳者になるまでの人生の軌跡も綴っています。

20歳の時 消防設備の会社で施工管理の仕事 1

人生の軌跡

社長とケンカ別れになり、勢いだけで電気工事業の会社を退職後、
無職の期間は最短にとどめておくために就職活動。

結果、一か月以内に新しい仕事にありつくことができました。

消防設備、インターホン、ナースコール、情報通信設備を扱う会社に就職しました。
おそらく電気工事の現場経験者ということが大きかったのだと思います。

入社してすぐに施工管理課に配属されました。
主要な顧客は大手電気工事会社が中心。
ゼネコンの建築現場で消防設備、非常放送設備、インターホン、ナースコールといった弱電設備を受注し、設計施工、建築中の現場管理を担当しました。

それまでに概念の無かった消防法について勉強が始まり、先輩にくっついて現場に行きながら、顧客である電気工事会社の担当者との打ち合わせや必要な材料の手配、工程管理や外注として工事に入っていただく職人さん達の手配、消防検査に備えて消防署の担当部門の方との打ち合わせや申請書類の作成なども担当しました。

必要に応じて、自分も工具を持って工事を行いました。

大変だったのは、工期を守るために深夜残業や休日出勤が多かったこと。

当時、一番下っ端の自分でさえ一か月当たりの残業時間が140時間くらいに
なっていたので、他の人はもっとたくさん働いていたと思います。

ゼネコンが扱う物件は非常に規模の大きな建物が多く、事前に新聞やテレビなど様々なメディアを使って大きく宣伝されていて、工期が遅れることは絶対に許されない状況でした。

工期に間に合わせるため、深夜残業であちこちに火災感知器を取りつけていたら、知らないうちに次の日の朝礼の声が聞こえていた・・・なんてことはよくありました。

いくつもの物件を抱えて過労の状態が続くと、風呂に浸かっていたときに寝落ちのような状態になり、お湯の中に顔をボチャッと落として我に返ることが何回もありました。

今思うと、あれは一種の失神状態だったのかも知れません。


良かったこともあります。
深夜や休日に働いてもきちんと残業手当がついたこと、担当したほとんどの現場では指摘事項がなく消防検査に合格できたこと自分が担当した物件がオープンしてたくさんのお客さんが入ったのを見たとき、苦労が報われたなと感じることができました。

前に勤めた電気工事業の会社と違い、色々な人と会話をすることでコミュニケーションを取ることができた職場環境だったこと。

人間関係で苦しんだこともありましたが、それ以上に会話ができることが良かったです。

しかし順調なことは長くは続かず、一難去ってまた一難という感じになっていくのでした。


今日はこの辺で。

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