肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

紆余曲折の人生をストレートに表現しています。

(続) 電気工事業の会社を退職後  労働災害で死亡事故

「手に職を」と意気込んで、人生で初めて正社員として就職した電気工事業の会社。

私は、そこの会社が作り上げた職人独特の価値観になじむことができず、
結局は社長とケンカ別れになってしまい1年で退職しました。

退職後、家族や友人からは「根性無し」「お前は働くのに向いてない」「我慢ができない奴」
散々言われました。

そこの会社には未練を感じることがなかったので、やめたこと自体は後悔していませんが、
またしても収入が無くなって仕事を探す身分になってしまったときに、ちょっとだけ心が苦しくなりました。

そのときに不思議な出来事に遭遇したので、そのことを綴ります。


職業安定所に通ったり、求人情報誌を読むといった毎日を過ごしていた最中のこと。

家で本を読みながらぼーっと過ごしていたときに、Oさん(65歳)が急に意識の中に現れて

「まぁまたウチに来て茶でも飲もうや。カミさんに言っておくからいつでもおいで」という声がはっきりと聞こえたのです。

(Oさん:15歳のときに丁稚奉公で電気工事会社に就職し、定年退職してからは、アルバイトの身分で私と一緒に働くことになったという経験年数50年というベテランの電工。私にとっては、数々の技を授けていただいた仕事上の恩師。)

何の疑いもなく、本当に単なる思い付きだけでOさんのご自宅を訪問したのですが、
そこでびっくり仰天。

Oさんは労働災害の事故で急に亡くなったばかりだったのです。

奥さんからいきさつを伺ったところ、
ベテランすぎて油断していたのが大きな原因だったそうです。

経験年数50年という大ベテランだったため、電柱に上がっての作業にも関わらず、柱上安全帯(墜落防止のため腰に巻きつけるロープ)をつけずに、そのまま高いところまで上がってきてしまった・・・

要するに、子供の木登りと同じ感覚で電柱に上がってきてしまったようです。

仕事に対する油断や慢心がどこかにあったのか、うっかり足を滑らせてしまい、地面から12mほどの高さから墜落して全身を強打してしまった。

事故直後は口を聞くことができていたため痛がりながら「救急車など呼ぶな。恥ずかしい」と言っていたこと、

一緒に居たバカな先輩が携帯電話を持っていなかったこと、

「救急車を呼ぶな」って言っていたのをバカな先輩が真に受けていたこと、

それにしてはあまりにも痛がるので、携帯電話を持っている通行人を探して、救急車を呼ぶまでに時間がかかってしまったこと、

病院に運ばれて、数日間は集中治療室で生きていたようですが、結局は亡くなってしまったようです。

私は、あまりにも突然の出来事にびっくりして言葉を失ってしまいました。


奥さんから「あなたはどうやって主人が亡くなったことを知ったの?」と聞かれたので、

「家でぼーっと本を読んでいたときに、突然ご本人の声が急に聞こえてきて、お茶でも飲みに来いって言われたからです。思い付きだけで普段着のままで来てしまいました。本当に何も知りませんでした。すみません」と説明。

私がOさんの声を聞いた日時は、病院で死亡が確認された時刻とほぼ一致。

単なる思い付きでご自宅まで顔を出したときは、火葬が済んで遺骨が家の仏壇に安置された次の日。

「きっと主人はあなたに会いたかったのよ」と奥さん。

生まれて初めて、「虫の知らせ」「第六感」を体験した出来事でもありました。

奥さんは、会社の社長に「○○さんは辞めてしまった子だけど、ご本人のところへ連絡してあげてください。」と話をしていたらしいです。

社長は「連絡しておきます」とだけ奥さんに返事をしたものの、
実際はこちらには何も連絡しませんでした。

やっぱり、社長のことは尊敬に値しない人だと思いましたし、

私の中では「Oさんを殺したのはお前たちだ」という憤りがあって、しばらく頭から離れることがありませんでした。


奥さんから聞いて初めて知ったのは、

  • Oさんは毎日、仕事が終わって晩酌するときは必ず私のことを話していて、仕事を教えればどんどん覚えていくので育てるのが楽しいと話していた。
  • 「今日の○○君はこんな感じだった」奥さんや他の家族も私のことを聞くのが日課だった。
  • 会社の人よりも、実はOさんの家族の方が私のことを詳しく知っていた。
  • お小遣い欲しさのあまり「今日、○○君が客先で雨どいを割ってしまって、俺が責任とって弁償しなきゃいけなくなったからちょっとお金出してやってくれないか」と奥さんに言っていた。
    ※ 私はそんなこと、一度もやっていません。単にお小遣いやパチンコ代が欲しかったから言っていただけと思われます。
  • 周りの職人が無口で何も教えない分、何とかして育ててあげたいと話していた。
  • 社長と私が大ゲンカしたとき、仲裁に入って「もうちょっと辛抱して長く勤めるように説得すれば良かった」などと話していた。

様々な話を聞いて、本当に自分のことを可愛がって下さっていたのだと知り、泣きそうになりました。

突然、Oさんが亡くなってしまったことはとても悲しかったのですが、

そもそも、会社の中で日々の会話を大切にして
安全面や作業内容について、きちんとコミュニケーションが取れていれば、
こんな死亡事故など起こるはずはなかったと考えています。

その前に高速道路を走っている車から脚立が飛んでいったときも、安全についてきちんと話し合う空気があれば、こんな大きな事故だって防ぐことができたと思います。

ろくな話し合いもせず、個々が勝手なことばかりしていた結果が、労働災害による死亡事故です。


しばらくの間、育てて下さった恩師を亡くしてしまったことを気にして落ち込んでいましたが、気持ちを切り替えて、就職活動を再開させました。


これで、電気工事業の会社に勤めていたときの話を終わりにします。

今日はこの辺で。

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