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 肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

ラオス語の文書を日本語に翻訳する仕事を承っております。ラオスに辿り着いて翻訳者になるまでの人生の軌跡も綴っています。

(続) 19歳のとき 電気工事業の会社に就職 2 師匠と弟子の関係

人生の軌跡

周囲にいる職人は大人しい?
寡黙?無口な人ばかりでしたので、

基本的には、朝「おはようございます」を言ったら、
二言目には夕方「お疲れ様でした。お先に失礼します」としか
言わない日々を歩んでいました。

一日で発する言葉が二つだけ。
仕事でしゃべらないというのが、
こんなにもストレスで苦痛だったとは、思いもよりませんでした。

当時はそれでも仕事を覚えたい・技術を身につけたいの一心で
喰らいついていたような気がします。

「仕事はいちいち教えない」
「黙って相手の手だけ見てろ」
「見て覚えろ」
ただそれだけの世界でした。

ある日、社長がOさんという方と一緒に現場に行けと指示してきたので、
一緒に仕事をさせていただきました。

事務所にいたときは一言も発さなかったOさん・・・

工事車両に乗って現場に向かうときは、色々としゃべってくださって、
とても心が救われたことを今でも覚えています。

自分が19歳で就職した会社で、Oさんはすでに65歳を過ぎており、
ご本人は15歳のときに大手の電気工事会社に入って、丁稚奉公のような形で
下積みから電気工事の仕事を始め、時間をかけて職人の仕事を覚えていき、
その会社で外線工事(地面に穴を掘って電柱を設置し、高所作業車に乗って高圧線を引き込む仕事)の職長を務めていたこと、

ある程度の職位になってからは、未経験で入った多くの若者を育ててきたこと、
自分が育てた若者が昇進して、班長や責任者になっていくのを見るのが
楽しみだったこと、

大手の会社は定年退職をしたので、
当時は遊ばない程度にアルバイトとして働きに来ていることなど、

色々と教えていただきました。

電気の仕事に関して、Oさんは50年の経験を持った熟練工ですが、
定年後のアルバイトで来ていたため、他の社員のやり方に配慮する格好で
自分の気持ちや考え方は一切主張せず、

社長や他の職人の指示通りに動くみたいな
スタンスで働きに来ていたそうです。

ただ、Oさんとしては、
この会社の社長や職人が無口で大人しいだけでなく、
「仕事は教えない。黙って見て覚えろ」「いちいち聞くな」
作業前の安全確認のミーティング無し、声かけも一切なし、
図面は見せない、くわえ煙草で作業をする、ヘルメットも被らないだとか、
そういった姿勢については、ただの自分勝手な人たちの集団なだけで、
とても許されるものではないと言っていました。

19歳の若者にはキツイんじゃないかと、
ひょっとして辞めてしまうのではないかと、
私のことを心配していたと言ってくださりました。

Oさんと二人きりで行く現場は、
確かに厳しく言われることはメチャクチャに多かったのですが、

その分、安全作業の心得を話して、工具の名前や使い方から始まって、
図面を見せていただいて、きちんと説明していただいてから
作業が始まっていました。

自分の中で、最も良い学びだったのは、

電柱に登って一般家庭やアパートなどの建物に
電気を供給する作業(電線を張ること)を重点的に厳しく教えて
いただいたこと。

最初は御自身が私と一緒に電柱に上がって、手取り足取り
声に出して作業を教えて下さりました。

私が仕事を覚えていくにつれ、必要なこと以外は
徐々にOさんは見守るだけの立場になっていき、

しばらく経ったら
Oさんは地上にいて、自分は電柱の上で作業をしていて、
大きな声で「次は、○○しろ!」「そうだ!いいぞ!」
「もうちょっと、力を込めて電線を張れ」
具体的に指示が飛んできたので、
こうやって教えていただいたことに対して、
感謝をしていました。

Oさんは
山本五十六の名言集を読んでそれを仕事で実践していたと
いうことでした。

山本五十六って誰?
Google先生に質問してみてください。

自分はそれまでの人生で、
親や先生など誰かから誉められた経験が皆無だったので、
作業が終わってから「あれは、良かったぞ。上手くできるようになったぞ」
「あのところはもっと、こうやった方が良かった。今後は気をつけるように」
などと誉める点、反省点もきちんと説明していただけるというのが
とても嬉しかったのです。

見る人によってはたかが、電気工事屋の現場作業じゃないかと
思われてしまうかも知れません。
それでも、自分はそうやって育てていただいていることに
充実感を感じていました。

Oさんとペアになって
現場に行ける日は色々と教えていただけるので、
とても楽しみでもありました。

「黙って見て覚えろ」「いちいち聞くな」では、
いつまで経っても人が育たないだけでなく、

たとえその場は教育に時間がかかってしまったとしても、

若者がその作業を覚えてしまえば、
他の人は別の作業に取り掛かることができるし、

ゆくゆくは、周囲の人の負担が減って結局は効率的じゃないかと
いう見解を持って、接してきてくださりました。

Oさんと現場に行ける日は、厳しさがありながら、
その分仕事を覚えることができるなど
色々な感情がありました。

他の社員の方とペアになった日は、
頭の中でダースベーダーのテーマが鳴り響き、

終日無言で過ごさなければならなかったのと、
常に煙草を吸っている人たちばかりでしたので、
髪の毛や作業服、私物の荷物に煙草のにおいを付けられることについて、
とても憂鬱に感じていました。

こんな形で、楽しみとストレスの両方を感じながら
仕事を覚えていく日々を過ごしていました。


今日はこの辺で。


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