肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

紆余曲折の人生をストレートに表現しています。

(続) 19歳のとき アルバイトをしながら就職活動

通信制高校を卒業してすぐ
正社員・各種保険完備ということで就職したはずの新聞販売店では、

店主が私の健康保険証の手続きをしていなかったり、
他の社会保険の手続きもせずに
月給制のアルバイトという扱いで処理されていました。

毎月の給料明細からは、各種保険料が天引きされていたのに、
実際は何もされていなかったので、
天引きされた分はどういう扱いになったのか?

そこを聞いても社長は黙っているだけ・・・。

表面上は正社員としての仕事を要求され、それに応えてはきたものの、
実際は都合のいいアルバイト扱いだったことに断固抗議し、

同時に他の従業員達と経営者との間で
お金に関する揉め事の多い職場だったこともあって、
高校を卒業して4月に就職し、
同じ年の8月には退職しました。

強いストレスを感じ、胃酸が逆流してきたり、
常に吐き気がするなど不快な症状がでてきて
病院を受診したいのに、健康保険証がなくて困りました。
(仕方がないので、国保の保険証で受診しました)

先に退職していった先輩(正社員で10年以上のキャリア)の
ボーナスが5万円、同僚M君のボーナスが3万円・・・・

このような職場には、未来、夢、希望などありません。

本当に正社員で各種社会保険を手続きしていたのであれば、
仕事も頑張って続いていたでしょうし、
その状態で辞めてしまっていたら職歴アリにもなっていることでしょう。

実際は社会保険の手続きが何もされていなかったので、
この期間の職歴はナシということで、
今思えば、結果オーライだと思うことにしています。

高校を出てすぐに就職した職場でぞんざいな扱いを受け、
悔しくて夜も眠れないことが何日もあって苦しかったのですが、
しばらくしてから、その新聞販売店が廃業になったと聞いたので、
溜飲が下がってすっきりしました。


今回はその後の生活について綴ります。

まず、お金が欲しいので
再び働く場所を探すことにしました。

高校時代に2年間アルバイトでお世話になった
イトーヨーカドーまで顔を出し、
またアルバイトとして同じ部署で働かせて欲しいと
お願いをしました。

かつては、正社員になりたいくらいに思っていて、
入社試験を受けようとしていたのですが、
手続きを進めようとしたらすでに締め切りだったという
笑えないエピソードがあったものの、

現実の生活を考えれば、
なりふり構っていられなかったので、

現場を仕切る上司の方には
9月から3月くらいまでのおよそ半年間だけ、
働かせてくださいとお願いをし、快諾していただいて、
アルバイトをすることになりました。

「この出戻りめ」と社員の方から笑われましたが、
気にしていませんでした。

出勤時間・休日は自分の都合よりも
職場の方で優先的に決めていただき、

その代わりに平日に休みをいただいて、

正社員としての仕事先を探すための
就職活動をすることにしました。

高校生のときの時給は朝7時から750円に対し、
高校卒業後の半年間は朝7時から850円になり、
時給で100円も上げていただきました。

実家で暮らしていたので、
まずは仕事に行くことを心掛け、
給料が多いとか少ないとかあまり関係なく、
自分が必要最低限の生活ができればいいかな
くらいに思っていました。

この時期は
「高校を卒業したら正社員として就職するもの」
だと両親や学校の先生から刷り込まれてきたことが影響して、

目の前ではそこから外れたことが起きている人生だったので、
得体の知れない罪悪感を感じながら生活していました。

罪悪感って何?
→悪いことをしていないのに、何か悪いことをしてしまったと
 良心の呵責に苛まれること (私個人の勝手な解釈です)


今となっては、どうでもいいことですが、
当時はこういう得体の知れない感情が心を支配していて、
なんだか世間から外れた自分は生きてて申し訳ないような
そんな気持ちにさせられていました。

両親や学校の先生からの
教育やしつけ、刷り込みって怖いですね。

アルバイトは上司が変わっていただけで
他は何も変わらない仕事内容でしたので、
毎日、淡々と家と職場を往復するだけの単調な暮らしが中心でした。

高校時代のアルバイトと比較して
違いがあるとすれば、仕事が休みの日は
職業安定所に行き、正社員の求人を探すことを繰り返していた
ことくらいです。

この時点で、19歳・高校卒・普通免許あり

何か仕事はあるだろうとある意味、楽観的な気持ちで
職探しをしていたように記憶しています。

正社員としての仕事は何ができるんだろう?
今までどんな勉強をしてきたのだろう?と考えていました。

生活環境が変わっていく中、

何ひとつ変わらなかったこともあります。
それは父親のことです。

こういうときでも父親
「早く就職しろ」「バイトなんか行っているのか」
と頭ごなしに否定するばかり。

否定はするんだけど、
「お前にはこんな仕事が合うんじゃないのか?」
「こんなことをやればいい」といった
助言は一切ありません。

そこまで言うなら、何か正社員の仕事の話でも
持ってきてくれればいいのにと思っていましたが、
そういうことは何もしません。

毎日の暮らしにおいて、
私の両親は共働きで頑張って働いてくれていたことは
理解しています。

忙しい仕事や子供の世話、住宅ローンの返済に追われ、
その中で食べさせてくれて、塾にも通わせてもらいました。
そういったことに対する感謝はあります。

毎日一升の米を炊き、週に一度は米10Kgを買う生活を繰り返し、
食事の時間はお互いに譲り合うとか分け合うことはなく、
壮絶な兄弟バトルの時間だったことを母親から聞かされていました。

食事で争っては負け、テレビのチャンネルを争っては負け、
家庭、特に兄弟の中でも自分は弱かったです。

身体も一番小さかったですし、
性格もそこまで主張することはなかったのです。

というよりも、
常に我慢をして心を抑えていなければならない状態を
強いられてきました。


反抗などすれば、「貴様など出て行け」「今すぐ死ね」と
言われるだけでしたし、

「今日は晩メシ抜きな」で本当に
食事を抜かれたことは何回もありますし、

しばらく外に出てろと言われて、玄関の外に放り投げられて
鍵をかけられたことだって何回もありました。

だから、反抗してはいけないと心に釘を打たれた状態で
私は育ったのです。

今までの人生で父親から何かで誉めてもらったり、
人生のアドバイスをもらった経験は一度もありません。


ただ、子供の自分がこれをやろうと
思ったことは頭ごなしに否定するばかり。

「こんな仕事をやりたい」と言うと
「お前には無理、やめておけ」と言われたことは何度もあります。

自分の常識にないことを、子供がやろうとすると
何でも頭ごなしに否定するのが父親の仕事だと
思っていました。

就職活動のとき、気にしていたこと。
自分にできる仕事かどうかを考えたのはもちろんですが、

それよりも、
その仕事に就きたいと言った後に父親がどういう反応をするのか
脅えてビクビクしながら、仕事を探していたことも事実です。

なんだか心が屈折し始めた19歳のときの出来事です。

今日はこの辺で。

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