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 肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

ラオス語の文書を日本語に翻訳する仕事を承っております。ラオスに辿り着いて翻訳者になるまでの人生の軌跡も綴っています。

(続) 高校3年生のときの話 3  高校卒業後の進路が決まったけど

人生の軌跡

あれは18歳・通信制高校3年生の冬。
世間では進学校にいる同級生たちがセンター試験の追い込みで猛勉強していたころ、私は卒業後の進路を探すためにもがいていました。

父親:「進学はさせないけど、就職かアルバイトするのかさっさと何か道を見つけろよ」

顔を合わせれば急かすばかり。
「○○の仕事なんかどうだ?」などと勧められたことは一度もありませんでしたし、
息子のことは何でも頭ごなしに否定するのが父親の仕事なのでしょうか?
具体的なアドバイスは何一つ言われませんでした。

人は誰もが皆、自分の思ったことをそのまま言葉にして説明できるわけではありません。
父親に対する怒りや悲しみの感情で心はあふれているけど、口にできない気持ちというのがあったんです。

マグマのように心の中から湧きあがってくる感情はあったのですが、それをきちんと言葉にすることはできませんでした。

父親としては、ただ単にお金がかかって邪魔な子供から解放されたい、
(もっと愛人に貢ぎたい←口には出さないけど)
おそらくそんな心境だったのでしょう。

当時、インターネットは浸透していなかった時代なので、就職の情報を見つけたい場合は職業安定所に行くか、コンビニや本屋で定期的に置かれる無料の就職情報誌をアテにするしかなかったように記憶しています。

高校卒業のリミットは迫ってくるし、イトーヨーカドーでのアルバイトももう終わりにしたい・・・そんなことを思いながら生活をしていたとき、

住んでいた地域にある新聞販売店が従業員募集の広告を各家庭に配っていたのを発見しました。

「これはチャンスだ」藁をもすがる思いで、そのチラシをチェックしてすぐに新聞販売店に電話をかけて面接の予定を入れていただいたのです。

段取り良く面接が終わり、高校卒業後の進路は正社員として新聞配達の仕事に就くことが決まったのです。

父親:「お前、新聞配達なんかやるのかよ・・・」
息子の就職を喜ぶことなく、相変わらずけなすだけの姿勢にがっかりしました。

父親が新聞配達と言う仕事を見下していたことにも気づきました。

大人になった今だから分かるのですが、
工業高校や商業高校は卒業してこそ「高校卒」として採用されて真価が発揮されるというもの。
通信制で名も無い高校など卒業したところで、実社会で通用するようなものは何もありませんでした。
出身高校の名前で就職ができるほど有利な立場ではなかったのです。

高校を卒業すると同時に、そこからが本当の意味で「ろくでなしの人生」がスタートすることをこのときは知る由もありませんでした。

今まで親子や学校のことで大変だったようなことをブログに書いてきましたが、
高校卒業後の方が、さらに厳しい試練が色々と起きたのです。

今日はこの辺で。

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