読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

 肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

ラオス語の文書を日本語に翻訳する仕事を承っております。ラオスに辿り着いて翻訳者になるまでの人生の軌跡も綴っています。

(続) 高校3年生のときの話 2 孤立無援と絶望と嫉妬

人生の軌跡

通信制高校の3年生で、卒業後の身の振り方を考え始めたときの話です。

高校卒業後は、就職、進学、またはそのままアルバイトを続けるのかなどという三つの選択肢がありました。


まずは家で両親に相談。
父親:「上の学校には行かなくていい。ウチは金が無い。就職かアルバイトかどちらかにしろ。とにかく働け」「奨学金にしたって、親の負担がゼロになるわけではない。だからダメ」


私:「・・・・」これで一つの選択肢が消えました。

 

大人になってから知ったのは、当時父親は愛人がいて、そちらにお金を渡していたので、お金がかかるような子供の存在が邪魔だった、進学にお金をかけたくなかったとのこと。父親が言った「ウチは金が無い」を疑うことなく、そのまま信じていました。

母親は自営業の父親よりも収入が多い仕事をしていたのですが、逆らえば殴られる・蹴られるなどの暴力を奮われたり言葉で脅されたりしていたので、父親の言うことにはそのまま黙っているしかなかったそうです。母親は父親に愛人がいることは全く知らなかったと言っていました。


家がダメならと、次は通信制高校でクラス担任がいたので、就職の相談をしました。


先生:「通信制は社会人の学校。他の工業高校や商業高校のように先生が進路の相談にのることはしません。就職したければ自分で何とかしてください。学校としてできることは、成績証明書や卒業証明書など頼まれた書類を発行することだけです。」


私:「就職したいと言っても、誰も助けてくれない、情報も自分で探すしかないのか・・・’」

もしも、工業高校の電気科でそのまま勉強していれば、担任の先生や就職担当課などのサポートを借りて就職ができたでしょう。
通信制に転校したことで、学校の先生からのサポートを受けることすらできませんでした。


それならば、考えを変えるしかないと思って
当時アルバイトとして働いていたイトーヨーカドーで、直属の上司に「高校を出たら正社員になるための試験など受けることはできますか?」と相談。

上司:「知らない。自分で何とかしなよ。ただ卒業後もアルバイトを続行したい場合、契約更新はできると思う」

私:「そうですか。・・・」

一人でどれだけ頑張っても報われないような、誰からも見放されて孤立無援だなと感じていました。

 

当時は詳しくは知らされていなかったのですが、このときアルバイト先で直属の上司だった方は過労と、さらに上の上司から精神的に追い詰められていたようで精神疾患になっていたらしく、言動がおかしくなっていたのです。

 

真剣に仕事をしている最中、上司が急に話しかけてくるので何か仕事の話かなと思ったら、

上司:「新幹線って新しく“のぞみ”って出ただろ?他にもう2種類あるのは知っているか?」と話しかけてきたのです。

 

自分を含めたアルバイト数名はきょとんとしながら
「他の2種類ですか?“ひかり”と“こだま”ですよね?」

 

上司:「違うんだよ!」と急にキレ始めて「“かなえ”と“たまえ”に決まっているじゃないか!お前らはそんなことも分からないのか!このバカめ!!」と怒鳴り始めたのです。

 
怒鳴り声を聞いて、近くにいた正社員の方が慌てて制止に来ました。


その後、さらに上の役職の方へ報告したそうです。

上司の言動は誰が見ても明らかにおかしかったのです。

ちなみにのぞみ・かなえ・たまえは歌手でわらべっていう三人組のユニットのことです。
こんなの仕事中の会話とはいえないですし、若い世代の人は分からないですよね。

 

直属の上司は仕事中、おかしなことを口走ってはキレるなど、自分たちは途方に暮れていました。かといってアルバイトの身分ではどうすることもできません。

職場の中では様々な問題が起き、上司はどこかの病院に長い期間入院することになりました。強制的に入院させられたのでしょうか?それは分かりません。

当時働いていた部署は若手の正社員の男性が他に2名いたものの、これでは現場で指揮をとる人がいなくなってしまい仕事に支障が出るようになってしまいました。

しばらくして、人事異動で新しい方が上司として赴任してきました。

 

その新しい上司は仕事がバリバリできて人望が厚い方。
初対面で挨拶をするなり「君のことは他の者から聞きました。正社員になりたいんだって話をしていたみたいだね?その気があるなら俺が推薦の手紙を書いてあげるし、本部にも聞いてあげる。君の前の上司だった方はちょっとおかしかったね。2年間、ほぼ毎日休まずに仕事に来ていて一生懸命アルバイトで働く姿を見ていたのに、その人が社員になりたいって言ったら推薦状は書かない、自分で何とかしなよと言ったらしいよね。上司としては失格だったと思うよ。」


お言葉に甘えて正社員になるための試験を受けたいこと、推薦状を書いて欲しいこと、本部に相談してほしい旨を伝えました。

 

数日後、新しい上司の方から呼ばれて話をしたのですが「本部からは、もうすでに募集を締め切ったと言われた。前の上司がきちんとやってくれていればこんなことにはならなかった。俺も力を尽くしたけど届かなかった。そこは申し訳なく思う。」

結局、こんな結果になり正社員になるための試験を受けることも叶いませんでした。

孤立無援の中で卒業後の進路について右往左往することになってしまったのです。


高校3年生で18歳のとき、人生っていうのはいくら頑張っても報われないのかと絶望を感じました。


時期を同じくして、進学校で勉強していた同級生たちはおそらく死にもの狂いで志望の大学に入るための猛勉強をしていたことでしょう。

勉強で結果を出すことはそれなりに大変だろうと思いますが、家では親が「学費を出してあげるから、勉強をがんばりなさい」と応援してくれただろうし、「将来、なりたいものになれるように努力しなさい」と応援してくれて背中を押してくれたことでしょう。

我が家のように父親が子供へ暴力をふるったり、投資をケチることもなかったでしょう。

そういうことを想像してしまうと、自分と彼らを比較してしまえば人生の出だしや環境がそもそも違ったわけで、彼らに対して強い嫉妬も感じた時期でもありました。

 

今日はこの辺で。

 

広告を非表示にする