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 肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

紆余曲折の人生をストレートに表現しています。

(続) 中学3年生のときの話 1 告白して振られたけど、しつこくしたら天罰が下ったんだ

中学3年になり、またクラス替えがあって新しい友達と出会いました。

当時は「中二病」の真っ最中でした。

このとき、同じクラスの女の子のことを一方的に好きになりました。

告白をする前はとても仲良くしていたので、
毎日、学校に行くのが楽しかった記憶があります。

もちろん、それ以前にも誰かを好きになったことはあったのですが、

行動を起こし、生まれて初めて「告白」というものをしました。

中学生のとき、友達との会話で時々出てくる「付き合う」っていう単語に対し、
憧れを抱いていました。

中学2年と3年のとき、放送委員に所属しており、
何か適当な理由をつけ、その子を無人の放送室まで呼び出して、
真正面から気持ちをぶつけました。

心臓がバクバクするほど緊張しながら
「好きです」「お付き合いしてほしいです」と言った覚えがあります。

結果は砕けてしまいました。

もしもあのとき、
放送室の録音機器や全館放送のマイクが
ONだったらヤバかったですねwww

大人になった今なら、分かります。
たぶん相手の子はよく分からない人から
いきなり好きだとか付き合ってくれなどと言われて大迷惑だったはず。

当時は振られてもなかなかその子のことを諦めることができなくて、
その後もしつこくつきまとってしまいました。

今で言うストーカー行為も色々としました。

それが原因で今度はその子だけでなく、
クラスの女の子たちからも一斉に嫌われるようになりました。

それでもまだ諦めきれなくて突進してしまいました。
暴走を止めることができなくて、
心のどこかでは止まるきっかけが欲しかったのだと思います。

そういうときに、意外な形でこの暴走が止まることになりました。

体育の授業で跳び箱の倒立前転という種目を習っていたのですが、

運動神経が鈍かったため、
足を高く上げたときにバランスを崩して跳び箱から落ちてしまったのです。

マットが敷かれていなかった床の部分に落ちたとき、
右足首を思い切り打ち付けてしまって
あまりの痛みでその場から動けなくなってしまいました。

他のクラスメイト達から「あいつ、あんなところに落ちやがった」
というような冷やかな視線を浴び、
屈強な体育教師達によってすぐに救助され、
そのまま病院へ運ばれました。


検査の結果、骨折はしていなかったものの、
右足首の関節が内出血して大きく腫れていました。

足首をギブスで固定され、包帯でグルグル巻きにされて
一か月ほど片足をひきずったままの生活を余儀なくされました。

右足はあらゆる動作の軸足になるので、
捻挫したことで日常生活の自由を制限されてしまいました。

おそらく天罰が下ったのでしょう。
因果応報というやつです。

女の子にしつこくつきまとってはいけない、
自分の気持ちばかり押しつけてはいけないという
教訓になったような気がします。

同時に、誰かを好きになって
その気持ちを本人に直接伝えることの大切さも学びました。

中学生のころから40歳になった今でも全く変わらないのは、

「好き」という気持ちを何も言わずに黙っていれば、
表面的にはずっと仲良くしていられると思います。
しかし、ずっと黙っていたことで
相手の子が他の男と一緒に歩いているシーンを見てしまったら、
そちらの方が悔しいだろ?・・・ってこと。

15歳という子供のときでさえ、こういう思いがあったからこそ、
自らの意思で動くことができたのです。

当時は気付かなかったのですが、
他人の目線を気にせず、なりふり構わず
自分の気持ちに対して忠実に行動をする
というこの経験は大人になってから
あらゆる行動の源泉になりました。

30歳を過ぎてラオスへ行ったときにも、
自分から動くというところにもつながっています。


中学3年のときの話は長いので、
いったんここで切ります。

ມື້ນີ້ພັກຜ່ອນ ! (今日はもう休もう!)

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