読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

 肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

紆余曲折の人生をストレートに表現しています。

幼少時から小学校4年生までの話

人生の軌跡

少しずつ人生の軌跡を綴ることにしました。

ラオス語の翻訳と何の関係があるの?と思う方がいるのかも。
「私はこういう者です」と表現するために書きます。

美辞麗句を並べて上辺を取り繕うだけならいくらでも書くことはできますが、
現実の世界で知り合った方々に本当の姿を知っていただくために書きます。

  • 1976年 三重県で出生。母が里帰り出産というやつです。
    3,900gの巨大児だったそうです。
  • 幼稚園年中か年長くらいのとき、自家中毒B型肝炎で入院した。
  • もともと情緒不安定だった。
  • 腹部にはアトピーのような皮膚炎ができていたが、母がよく薬を塗ってくれた。
  • 小学校低学年のときは、身体が小さかったのと、勉強・運動ともにできなかった。
  • 小学校3年生の10月くらいのとき、理由は覚えていないが、何かをやって父親から猛烈に叱られた。その後、父親から「貴様のランドセルを○○寺の境内のどこかに隠した。欲しいだろ?学校に行きたければ自分で探して取って来い」と言われて夜中に一人で泣きながら探しに行ったことがあった。
  • でも、ランドセルは見つからなかった。
  • 時間は覚えていないが、明け方くらいに家に帰ったら父親がニヤニヤして「実は貴様のランドセルは俺の車のトランクの中だ」と言われて猛烈に泣いた。
  • その日から3日間くらい、熱を出して寝込んだ。
  • 小学生になってから自分は厳格な祖母から書道を教わって育てられていた。小学校4年のとき、N君という同級生に習字の道具を貸したところ、すごく汚れたままの状態で返されたことがあった。それを知った祖母や父が大激怒。「今後、そんな奴には道具を貸すな」ということでひどく叱られた。
  • N君には、クラブ活動が同じ卓球だったが、彼にラケットを貸すと平気で床に投げつけるなど、ぞんざいな扱いをされた。
  • それ以降、N君からはモノを貸してほしいと言われても断ることにした。
  • 頼んでも道具を貸してもらえないことを恨まれ、小学校4年の遠足のとき、N君からゴムひものついたスリングショットという道具にパチンコ球を仕込んでこちらの「こめかみ」を狙い撃ちされて大けが。目に当たっていたら失明していたかもと言われた。
  • 自分はN君のことを恨んだ。同時に祖母や両親のことも恨んだ。
  • それが治ってからしばらく経ってから、今度はY君といういじめっこ兄弟のお兄さんから意図的にドッチボールを思い切りぶつけられて右手の小指を骨折した。
  • 自分から見れば、N君とY君兄弟に何かの関係があったのか分からないし、たまたま時期的なものが偶然に一致しただけかもしれないけど、小学校3年~4年のころは割と辛かった。
  • 40歳の今でも、いつかN君とY君の兄弟に対してはいつか報復してやろうと思うことがあります。
  • 自分の父親など、今でも激しい憎悪の対象です。

 

色々と書いていたらつらくなってきたので、とりあえず今日はこの辺で止めておきます。




広告を非表示にする