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 肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

ラオス語の文書を日本語に翻訳する仕事を承っております。ラオスに辿り着いて翻訳者になるまでの人生の軌跡も綴っています。

勇気とエネルギー

心の問題

まとめ。

  • 電気工事士として現場作業をしていたころ、誰からも間違いを指摘されることがなかった。
  • ミスをしてしまった場所は、いつの間にか職人が無言で直していた。
  • 誰からも間違いを指摘されることなく、無言で直されたことにショック。
  • 頭ごなしに怒鳴られることがない代わりに、間違いをしても気付けない環境。
  • だいぶ昔の話、うつになって電気工事業の会社をやめたことがある。


自分の中で何か分からないことや質問したいことがあるとき、
聞くは一時の恥 聞かぬは一生の恥
という言葉の意味を感じることがあります。

社会人として仕事中だけでなく、
学生として学校で勉強しているときでも
周囲の目線を意識してしまって、
なかなか勇気やエネルギーが出ない場合がありますよね。


ここで少し立場を変えて考えてみましょう。


もしも自分の家族、恋人、友人などが
明らかに間違えた言動をとってしまった場合、
あなたはどうしますか?

その場で指摘してあげますか?
それとも無視して放っておきますか?

相手の間違いを指摘してあげることによって、
言われた相手はその場で恥をかいてしまうかも知れません。

プライドを傷つけられたと、キレてしまう人だっていることでしょう。

いちいち指摘するのは面倒だからと、その場は何も言わずに黙っていれば
相手は恥をかくことはありませんし、プライドも保たれたままになりますが、

おそらく誰かに指摘されるまで、
同じ間違いを背負い続けることになることでしょう。

そう考えていくと、
誰かの間違いを指摘し、その上で正しいことを認識してもらうようにするには、
相当な勇気とエネルギーが必要なんだと分かります。

「お前のために言ってる」と言うと
恩着せがましい表現になって相手が気分を悪くするでしょうし、

間違いを指摘して正しいことを認識してもらうことが目的なので、
相手から感謝されたいとか参りましたと言われたいわけでもないです。

何かこの心情をうまく表現する単語や文章ってありませんかね?

現在、自分は40歳ですが、
歳を取るにつれて誰からも何も言われなくなるので、
自分のとった言動が正しいのか、
間違えているのかさえ分からなくなるときがあります。

そう考えていくと、
(相手の尊厳に配慮した範囲内で)
誰かの間違いに気付いたときには、
勇気やエネルギーを持って指摘してあげることが
重要だと分かりますし、

言われた立場で考えても、
たとえ感情の面で納得のいかない部分があったとしても、
理屈の面で正しい事を言われたならば、
それを心から受け入れるところから、変化が起きてくるのだと思います。

心の成長を考えると、ある程度の痛みは必要ということでしょうか。
痛みのない成長なんてあり得ないのかも知れません。


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