肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

紆余曲折の人生をストレートに表現しています。

人生と小説は一緒

まとめ。

千差万別、百人百様という言葉があるくらいなので、人生というものは誰ひとり同じものはなく、それぞれがストーリーの違う小説のようなものだというように考えています。

だから、人と違った人生だからと言って、
罪悪感を感じたり苦しく思う必要はないということ。

 

 私は人と違った人生を歩んでいます。

2足のわらじのうち、片方は翻訳の仕事、もう片方を探している最中なのですが、
経歴は異端だと言われることが多いです。

 「異端ですね」は体のいい表現でしょう。

「世間相場と違った人生を歩んできた者などいらん」が本音だと思います。

 

日本にいると感じるのは、
「多くの日本人が思う普通の人生を歩む」ってすごく難しいってこと。

 

具体例を挙げると、

交通アクセスが便利な都心に近い場所で生まれ育ち、
両親が愛情や教育費をかけてくれて塾や予備校に通わせてもらいながら高校を卒業し、
そのままストレートで大学に入学し、留年することなく順調に卒業して企業に就職し、
何年かしたら職場で昇進して責任や地位が上がって、
そのうち結婚して家庭を築いて、家を建てて、子供には英才教育を・・・・etc

 

こういった先入観で「普通の人生って何?」ということを考えていくと、

実はとてもハードルが高くて難しいことのように感じます。

 

むしろ「普通の人生」を歩んでいることの方が珍しいのでは?

 

私の場合、人生のスタート時点ですでにこういった「普通の人生」から外れています。


他人の枠に当てはめられて苦しいなと思いながら生きてきて、
途中で精神疾患にもなりました。

 

でも、ある時気付きました。

多くの日本人から「普通の人生」って言われるような人生、
金太郎飴のようにどこを切っても同じ顔、
つまり誰に何を聞いても同じ価値観、同じ考えの人生・・・
逆にそこから外れてヨカッタなということに。


今は翻訳以外の仕事を探している時なので、
「日本で普通の人生」を歩んでいる人から「海外に行ってきたの?へぇ」
みたく言われる場面があります。

 

最初のうちは「普通の人生から脱落した人」みたいな差別を受けているようで嫌でした。

 

でも、何社か(何人か)と話をしていく中で、それは違うと思えるようになりました。

 

直接口に出して言わないものの、そうやって言う人って
実は「5年も海外留学していてうらやましい。」「俺らは朝早くから夜遅くまで馬車馬みたく働いてんだ、それなのにお前は海外で5年も過ごしてきたのか」という
妬みの気持ちが心の奥底にあるのでは?と考えるようになりました。

 

相手の心をこうやって思えるようになってからは、
別に何を言われても負担だと思わなくなりました。

 

あ、でも時々は猛烈に見下してバカにしてくる人もやっぱりいるんですよ。

 

圧迫面接?そんなもの自分から言わせれば詭弁ですね。

一応、スーツを着て満面の笑みでいますが、
心の中ではバルス!!」って
大声で怒鳴っています。


そういうことを言われた時点で退室したこともあります。

 

耐性が無い?そう思われて構いません。

 

圧迫面接に耐え切れる人材かどうか判断するってことは、
入社後は社畜を養成したいってことなんですよね?

 

人生や仕事っていうのは、自分の価値観や経歴、
仕事の結果を評価してくれる人と協力し合っていけばそれで良いのです。 


合わない人、否定的な人と一緒にいたところでお互いに窮屈なだけだと思います。

 

例えば、気に入った洋服を買ったとします。
でも、体型が変わったり、好みが変わったりしてその洋服を着なくなり、
たんすの肥やしになって処分するときが来るかも知れません。


これって、洋服が悪いのでしょうか?
体型や好みが変わった自分が悪いのでしょうか?

答えは、そのどちらでもないはずです。


新しい洋服を買うときに、罪悪感を感じる人はいませんよね?

心に負担や苦しみを感じることもないですよね?

 

人生は小説のようなものです。
自分がその小説の主人公になって、
他人の価値観に邪魔されることなく幸せな人生を歩んでいけば良いのです。

 

 ມື້ນີ້ພັກຜ່ອນ! (今日はもう休もう!)

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