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 肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

紆余曲折の人生をストレートに表現しています。

在宅介護の前に準備しておくこと 身内の介護問題に思う

正月が明けたら、引っ越しが決定。

家族で話し合った結果、
認知症の祖母を在宅で介護することになりました。


介護施設で暮らしていれば
残った家族にとって肉体的・精神的な面は楽になります。
しかし、経済的には相当な額を施設に払い続けることになるため、
先の見えないトンネルがいつまで続くのだろう・・・と
悩んで話し合った末の決断になりました。

各家庭によって多様な考え方があるでしょうから、若い時からの貯えがあって経済的に踏ん張ることができる人はそのまま続けていればいいですし、それが難しくなった場合は部屋の空きを待って特養にするか、在宅で介護するかの選択肢になるのかなと思います。

我が家で決めたのは、いきなり生活環境をガラッと変化させるのは負担が大きいので徐々に変えていくってこと。

自分が一番心配しているのは、祖母が転倒→骨折→寝たきりになってしまうことです。

認知症の進行を食い止めることは難しいけれど、転倒が原因で寝たきりになってしまうことだけはどうしても防ぎたいです。

部屋の中や風呂場にも転倒防止の手すりをつけないといけません。

もちろん、衰えさせないために定期的にデイサービス等の利用も考えています。

あとは、勝手に外を徘徊することがないよう玄関の鍵に何かの対策を講じる必要が出てきます。

以前、ニュースで見ましたが認知症の方が外を徘徊してクルマにはねられたり、電車にひかれて大変なことが起きたと知ったので、悲惨なことが起きる前に何かの手を打っておかないといけません。

祖母や母親はこの私がいるので、何とかなりますが、

私自身が歳を食ったとき、次の世代がいないのでその時はどうすれば良いのだろうかと、漠然とした未来に対して心配することが度々あります。

祖母の兄弟の方は、若い時に家族に対して厳しく辛く接した結果、身内のほとんど全員から見放されてしまって、孤独死していたそうです。

発覚したのは、たまたまデイザービスの迎えに来た方が玄関でいくら呼んでも反応が無かったために、まさかと思って家に入ったところ一人で冷たくなっていた人を発見したということでした。

人生のエンドステージがまさかの孤独死という人もいるということです。

真夏でなかったこと、亡くなってから割と早い時間に発見されたのがせめてもの救いだったのでは。

もしもこれが真夏で誰も来ないような家だったらどうなっていたのでしょうか。

考えるだけで恐ろしいです。

個人的には、もしも自分が死んだら誰かに火葬をやってもらい、遺骨は粉砕してもらって、ラオスの山奥かメコン川にでも投げ捨ててもらえればそれでいいと考えています。
(本当にできるかどうかは知らない)

今生きている人は皆、いずれこの命が尽きるときが来ます。

その日が分からないからこそ、今を地道に一生懸命に生きることができるのでしょう。


毎日の単調な暮らしであっても、他人に迷惑をかけない範囲で自分なりに何かの楽しみを見つけて人生を謳歌してから、あの世に行きたいものです。

 

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