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 肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

ラオス語の文書を日本語に翻訳する仕事を承っております。ラオスに辿り着いて翻訳者になるまでの人生の軌跡も綴っています。

嫉妬や劣等感が大きく膨らんでくるとき

心の問題
人や社会から認められたい、誉められたい、必要とされたいという承認欲求は誰でもあると思います。
 
それと表裏一体の関係で、他人に対する嫉妬や劣等感が存在しているのではないのかなと感じています。
 
具体的に言うと、私はラオス語の通訳や翻訳で認められたい気持ちがあるのですが、
同業者がいると聞いたら、その人に対して嫉妬や劣等感が大きく膨らんでくるのです。。

私の場合、自殺を真剣に考えるくらい心が病んでいた時期があって、そこから何とか抜け出すきっかけとしてラオスと縁ができて、個人の出費でラオスに渡り、言葉が全然できなかったときから「単語の指差し会話帳」と日本語ー英語の電子辞書だけ持って、道行く人たちに聞き込みをして現地の大学を自分で探し出して、手続きをして入学した・・・という経緯があります。

文章にすれば、簡単になるものの、実際は悪戦苦闘の末に到達しているわけです。

同業者の中には、日本政府の奨学金を得てあらゆるサポートを受けることができて、優遇された環境を用意されて現地に来ている人がいました。勉強熱心かと思いきや、授業にほとんど出ないで遊んでばかりでした。結局は言葉や文化の勉強よりも、単に留学の経験を就職活動でアピールしたいだけなんだなという印象さえ感じました。

彼ら彼女らと自分を比較すると、人生の出だしがそもそも違うので扱いも優遇されているのは当然でしょう。しかし、言語の能力を比較すると、そんなに大きな差はなかったように感じています。だからこそ、恵まれた環境を手にしながら、その立場に甘えていた若者たちを見ていて、私は決して良い感情を抱くことはありませんでした。

人生を賭け、生き死にがかかった自分と、遊び半分で来ていた人との間で認識の差を感じ、それが嫉妬や劣等感になっているのかなと言う気がします。

たとえ学歴や出自、家庭環境に大きな差があったとしても、ラオス語の能力では決して負けることがないようにしたいです。
 
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