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 肉が行って魚が来る  ຊີ້ນໄປ ປາມາ

紆余曲折の人生をストレートに表現しています。

人生の軌跡

32歳のとき 就職活動で苦しかったこと

3か月ほどフィリピンに滞在し、身体の調子が良くなったことを確認して日本に帰国しました。それ以降は社会復帰を目指して就職活動をしたわけですが、どうしても耐えられないほど苦しかったことがありました。それは面接の席で過去の学歴や職務経歴について「…

私が女嫌いになった理由

私が女嫌いになった理由 :実は子供の種が欲しくて結婚しただけで、そもそも旦那の存在なんて要らなかったというのがあからさまだったからです。離婚して10年が経過しますが、私はいまだに自分は女の人のことを好きになることができません。「どうせいつか鬼…

31歳のとき  フィリピンから日本に帰国した後

離婚して子供と別れたことや職を失ったことで心身のバランスを大きく崩してしまい毎日「死にたい」「生きている価値などない」と嘆いていた時期がありました。人生の再起を賭けてフィリピンに三ヶ月間滞在して朝は基礎体力トレーニング 夜は空手道の稽古で汗…

フィリピンで暮らして良かったこと・大変だったことを挙げてみる

まとめ 規則正しい生活を心掛け、心身共に健康を取り戻す。 日本社会的な価値観については一度リセットする。 3か月の滞在を経て、目標として掲げた2つの点はクリアできました。人それぞれに背負った課題があり、人生の交差点という場所で空手の先生、先輩…

31歳のとき  空手道禅道会フィリピン  カブヤオ道場で過ごした普段の生活

フィリピン滞在時はこんなことをして過ごしていたという紹介です。この記事は私が滞在していた当時の話です。現在の様子と比較して変わっている点もございます。予めご了承ください。道場の入り口 看板 朝の基礎トレーニングの内容。上着を着ていないのは、…

フィリピンで撮った写真いろいろ  2

引き続き、フィリピンで撮った写真をアップします。私はバイクが好きなので、興味を持っていたホンダのバイク販売店まで行きました。 驚いたのはNSR250Rの新車が展示されていたこと。もちろん売り物です。 日本語のプレートがついていました。 許容回転が12,…

フィリピンで撮った写真いろいろ  1

フィリピン滞在時に撮った写真を適当にアップします。現地で自分が気に入ってたのは豆腐に黒蜜をかけてあるタホという飲み物。練習をやってヘトヘトになったとき、気軽に飲み込むことができるようなものでした。 タホを売っているのはこんな人。道場での練習…

31歳のとき  フィリピンで空手の稽古をすることになった 2

前回の記事 31歳のとき フィリピンで空手の稽古をすることになった 1 - 肉が行って魚が来る ຊີ້ນໄປ ປາມາの続きです。事前にフィリピン行きの航空券を手配するとともに、ディヤーナ国際学園への入金を済ませておきました。日本の空港で禅道会の先生方と合流し…

31歳のとき  フィリピンで空手の稽古をすることになった 1

離婚がきっかけで仕事を失って精神疾患になり、気が狂ったような毎日を過ごしていました。身体的には五体満足だったものの、この当時は物事に対して何か正常な判断を下すことは困難になっていました。とてもじゃないけど、仕事に行けるような精神状態ではな…

30歳のとき  インチキ霊能者のところに連れて行かれた

離婚後 私は心身のバランスを大きく崩して気が狂っていました。例えば、昼夜逆転の生活になって睡眠障害がひどくなりハルシオンと呼ばれる青い錠剤を服用してようやく寝つけるような生活になっていました。日常生活でも思考や言動がおかしくなっていきました…

精神疾患で頭の思考回路が誤作動

離婚後は心身のバランスを大きく崩していました。会社に休職を相談したところ、復帰の時期について折り合いがつかなかったことから、退職をしました。確かに、とても仕事にいけるような精神状態ではないほど気が狂っていました。精神疾患で休職させてもらえ…

30歳のとき 離婚後 心身ともに壊れた

このブログは過去の人生を綴ることで、心の問題を整理し、今後の人生がより良くなるよう自分の心と向かい合うために残しています。自分のみとせずに、公開設定にしているのは周囲にいる友人・知人たちに読んでいただきたいという気持ちがあるからです。もし…

子供の親権・財産分与・養育費・面接交渉権の問題

相手方が申し立てた離婚調停の話です。第一回目では双方が離婚したいと口頭で合意しました。二回目以降で子供の親権・面接交渉権・財産分与・養育費等の問題について具体的に話し合うということで一回目のときは話が終わっています。ところが、二回目の期日…

30歳のとき 離婚が成立

家庭裁判所から呼び出し状をもらったので、調停に出席しました。第一回目は本当に離婚したいのか、やり直せる部分があるのかについて調停委員から聞かれました。ここに関しては、お互いに離婚したいという気持ちで一致していました。一回目がここで終わり、…

30歳のとき 子供の親権について弁護士に相談

離婚する決意をもって、離婚届に記入してそれを相手に渡しておきました。お互いが感情的になってしまい、冷静な話し合いができないまま時間が過ぎていきました。そんなある日、家庭裁判所から調停の呼び出し状が届いたので、事前に子供の親権について弁護士…

30歳のとき 離婚するための泥仕合

「結婚生活を続けるのは無理だから別れよう」そう決意して、役所へ行って離婚届の用紙(しくじったときに備えて2枚)をもらって帰宅しました。頭に血が上っていたので、とにかく別れようという一心で離婚届に記入しそのまま封筒に入れて相手が住んでいるところ…

30歳のとき 子供の目の前で取っ組み合いの夫婦喧嘩

姑との同居に耐え切れず、実家で暮らしていた時期に奥さんと取っ組み合いの喧嘩をしたときのことを綴ります。結婚したばかりの頃、自分が稼いだ給料に関しては通帳ごと奥さんに渡して家計のやりくりをお願いしていました。子供が生まれる前、フォルクスワー…

29歳のとき 奥さんが車をぶつけたときの話

壁一枚隔てた部屋で姑と同居という生活はとても耐えられるようなものではなく、私が怒鳴って壁を殴って穴を開けたことで、姑と奥さんが怒り始めそこから罵り合いになって、私は同居していたアパートから生活道具一式を引き上げて、実家へ避難しました。その…

29歳のとき 姑と同居したら大バトルが勃発した 3 強敵参戦

壁一枚隔てた部屋には仕事で疲れた自分がいて、これからやっと眠れる時間帯だというのに、姑は夜遅くまでペテンのモノ売りに関するビジネスの用件で長電話をしていました。最初は優しい口調で「夜の電話は控えてもらえませんか?」と注意していたのですが、…

29歳のとき 姑と同居したら大バトルが勃発した 2

姑と同居してから、営業の仕事よりも家で暮らす方がストレスを強く感じるようになりました。第二ラウンドのことを綴ります。姑はアムウェイの熱狂的信者として、色々と活動していました。これに加えて、ペテンの布団売りの仕事?も一生懸命取り組んでいたよ…

29歳のとき 姑と同居したら大バトルが勃発した 1

前回の続きです。前回の記事はコチラ 29歳のとき 夫婦関係に亀裂 - 肉が行って魚が来る ຊີ້ນໄປ ປາມາ同じアパートで壁一枚隔てた部屋に姑が寝泊まりするという生活が始まりました。私達夫婦の間に生まれてきた子供のことをすごく可愛がってくれたり、栄養満点の…

29歳のとき 夫婦関係に亀裂

仕事・家庭・子育てと目が回りそうな毎日を送っていたとき、夫婦関係に亀裂が入った決定的な出来事がありました。自分はこれだけやっているのに、相手は何も分かってくれないみたいなことをお互いに思い合っていたため、このような事態になってしまったのだ…

28歳のとき ベトナム旅行でプレジオモナスシゲロイデス

メーカーで営業職兼メンテナンスとして働いていたとき、社員旅行でベトナム・ホーチミンへ連れて行っていただきました。フエという場所で食べた食事に原因があったのか?プレジオモナスシゲロイデスという微生物による食中毒にやられたときの話を綴ります。…

28歳のとき 子育ての理想と現実と矛盾

子育てを経験して痛感したのは、やることが無限大に押し寄せてくるのでどこかで妥協して力を抜いていかないと、いつまでたってもキリがないということ。私の場合は子供との関係よりも、夫婦関係の形が変わってきてしまい大きな矛盾を抱えて悩んでいたことを…

28歳のとき 産後一か月検診

子供が生まれてから一か月の間、奥さんは子供につきっきり、私は仕事から帰宅してからたまった家事をこなすという毎日を過ごしていました。1日は24時間しかありませんが、子供が生まれて一緒に暮らすようになってからは48時間で何をどうするのかと予定を立て…

28歳のとき 母子ともに退院してきた日

ミニバンの2列目の座席にISO FIX対応のチャイルドシートを取りつけて、奥さんと生後1週間の子供を病院まで迎えに行ったときの話を綴ります。退院する前に子供の名前を正式に決め、役所で出生届を出しておきました。おそらく、多くの家庭では出生届を出すの…

28歳のとき 子供が生まれた次の日

子供が生まれた次の日、病院まで面会しに行ってきました。そのときの出来事を綴ります。必要な荷物等を準備して総合病院の産婦人科病棟まで行きました。ナースステーションに置いてある面会者名簿に時間や名前を書き、あとは奥さんが休んでいる部屋まで行く…

28歳のとき 子供が生まれた日 

今からおよそ12年前、待望の第一子が生まれました。体重は3,472gあったので平均よりもだいぶ大きいと言われました。3月に生まれてくるように子作りをしようと夫婦で話し合い、妊娠が発覚して産婦人科で言われた通りの予定日でした。この投稿で言いたいのは、…

28歳のとき 家庭内予選 4

奥さんが妊娠していたころ、心身ともに大きな変化が表れてきました。こちらとしては、奥さんのお腹の中に子供がいてもそれは自分の身体の中で起きていることではないので、理解をしようにも難しかった・・・女の人の感情の波にはついてゆけないよ・・・そん…

28歳のとき 家庭内予選 3

この記事は、恋人と同棲中で結婚や妊娠を考えている男性向けに投稿します。結婚して奥さんが妊娠すると、見た目だけでなく心の様子も変わるので、何かの参考になれば幸いです。以下、本題になります。仕事と私生活のバランスが両立できるようになってきて、…

28歳のとき 家庭内予選 2

家庭内予選の2ラウンド目について綴ります。奥さんは妊娠中でしたので、子供が生まれた後の生活について色々と想像をしていたようです。ファミリーカーを新車で購入し、ローンの支払いが発生しただけでも生活費が圧迫されているというときに、今度は部屋の間…

28歳のとき 家庭内予選 1

正社員としてあるメーカーの営業職兼メンテナンス要員として就職することができました。奥さんのお腹には子供が宿っておりましたので夢中で仕事に取り組んでいました。入社から3カ月が経過し、仕事と生活が落ち着いてきたときにマイカー購入をめぐってバト…

28歳のとき 新しい職場で出会った 思い込みネバーランドジジイ 1

お付き合いしていた女性と同棲を経て無事に入籍し、色々とサポートしてもらったことで無事に新しい就職先を決めることができました。奥さんは妊娠中で徐々にお腹が大きくなっている最中で、自分なりの責任と重荷を背負いながら就職した会社で出会った上司の…

27歳のとき 結婚の約束と家族計画について話し合う 3

前回の記事の続きになります。コチラをご参照ください。 27歳のとき 結婚の約束と家族計画について話し合う 1 - 肉が行って魚が来る ຊີ້ນໄປ ປາມາ 27歳のとき 結婚の約束と家族計画について話し合う 2 - 肉が行って魚が来る ຊີ້ນໄປ ປາມາ この投稿は、恋人と同棲…

27歳のとき 結婚の約束と家族計画について話し合う 2

同棲していた彼女には30歳までには初めての出産を済ませておきたいという希望があったこと、子供ができることで私に人生の責任と重荷を背負わせたいなどと言われ、衝突を繰り返しながら生活をしていたときの話を綴ります。女性の身体のことに関する話題が出…

27歳のとき 結婚の約束と家族計画について話し合う 1

重心障害児のお宅でドーマン法リハビリプリグラムの介助ボランティアに行くようになり、そこで同じようにボランティアに来ていた女性の方と意気投合しました。徐々にお付き合いが始まり、同棲生活を送るようになりついに結婚の約束をしました。(※ここでは簡…

26歳のとき  同棲生活をしてみて良かったこと・大変だったこと

法学部卒の国家公務員として法律を扱う仕事をしていた彼女と同棲していたときに感じたことを綴ります。結婚前に同棲したいと考えている方たちの参考になれば幸いです。自分たちの場合、それぞれの父親に対する反発心があったので、同棲に関しては了解を得る…

26歳のとき  彼女と同棲生活

重心障害児のお宅でドーマン法リハビリプログラムの介助ボランティアに行くようになり、そこで知り合った女性と意気投合して付き合うようになりました。お付き合いが始まったばかりのころ、彼女から「私のことを真剣に愛する気持ちがあるのなら、最初の三ヶ…

26歳のとき  ボランティアで知り合った女性とお付き合い

週に一度、重心障害児に対するドーマン法のリハビリプログラムの介助ボランティアに行っていました。そこでたまたま知り合った女性と意気投合し、仲良くなってお付き合いするようになったときの話を綴ります。以下、本題となります。当時は実家の自営業の仕…

25歳のとき ドーマン法リハビリプログラムの介助ボランティア

就職活動に挫折して自室に引きこもる生活を改善するため、寝る場所を洋室のベッドから和室に変更して布団を敷くようにしたり(布団の上げ下げだけでも軽いスクワット運動になるため)朝晩は必ず部屋の換気をして掃除機をかけることを心がけていました。実家の…

25歳のとき  ひきこもりから脱出するために実行した3つのこと

就職活動で挫折し、不採用が多く続いたことや心外なことを何回も言われていくうちに生きていく希望を見失ってしまったことで自室にひきこもるようになりました。些細なことがきっかけで幼いころから溜め続けてきた心の鬱憤が爆発し、父親に殴りかかって家で…

25歳のとき  ひきこもりが自分を取り返すために戦った

25歳になるまで今まで一度も両親に反抗したことが無かった自分。人生に一度や二度くらいは感情をむき出しにして狂乱状態になってでも、両親に反抗しなきゃいけない時期は必要だということ。それは小学生や中学生くらいの時期の方が良いような気がします。自…

25歳のとき  ひきこもりがトラウマ返しで親父に跳び蹴り

数年後、実家の自営業が廃業することになりました。人生で何回目なのか数え切れないくらいの就職活動をしていたときに、不採用が続いたり、面接先で心外なことを言われ続けたことで心が折れてしまい、生きる気力を失って自室にひきこもるようになってしまい…

25歳のとき  ひきこもるようになったきっかけは就職活動で精神的なダメージを受けたから

数年後、実家の自営業が廃業になることが決定しました。実家の仕事は祖父(代表取締役)が高齢のため病気で入退院を繰り返すようになったため、祖母(経理)、父親(専務)の二人で回すようになっていました。その中で自分は再び就職活動をすることになったのです…

25歳のとき  廃業の決断

実家の自営業を手伝っていた頃、祖父(代表取締役)・祖母(経理)・父親(専務)が話し合って、ひとつの決断を下しました。それは、およそ30年に渡って営んできた仕事を廃業すること。自分が手伝ったのはほんの何年かですが、元軍人だった祖父が代表取締役として…

24歳のとき  ざまあみろと溜飲が下がった話

実家の自営業の仕事を手伝っていたとき、前職でお世話になった役員の方から一本の電話がかかってきたときのエピソードを綴ります。以下、本題となります。21歳のときに正社員として働いていた会社では、取締役部長が直接陣頭指揮を執る部署でテレビの電波障…

24歳のとき  同業他社との競争

実家の自営業を手伝っていたとき、同業他社が勢力を拡大してきて競争が激しくなってきたときの話を綴ります。以下、本題となります。祖父が代表取締役、祖母が経理、父親が専務、そして私わずか4名で日々の仕事を回していました。祖父が高齢だったことで、営…

24歳のとき  クレーン学校で各種技能講習を受けた

実家で自営業の仕事を手伝っていたとき、合間をぬってクレーン学校に通ってこのような技能講習を受けました。 高所作業車 フォークリフト 小型移動式クレーン 玉掛け そのときの話を綴ります。 以下、本題となります。独学で勉強した末、第一種電気工事士、…

24歳のとき  酒が飲めないとできない仕事だと知る

実家の自営業を手伝っていたころ、祖父や父親が仕事の付き合いと称して夜遅くまで酒を浴びるほど飲んでいた時期がありました。以下、本題となります。営業職の仕事というのは、注文をいただいて売り上げを伸ばすことが使命なのでそこに到達するには色々な努…

24歳のとき  電気工事士の試験勉強で心掛けたこと 2

この投稿は、実際に電気工事の現場に入っている方や、ある程度の下地があって試験勉強に取り組んでいる方々を対象に書いております。全くの未経験の状態で、とりあえず試験だけ受けてみようという方にはあまり理解されないのかも知れません。その点、予めご…